「藤原高藤」の版間の差分

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== 経歴 ==
[[近衛府|右近衛将監]]・[[六位蔵人]]・[[美濃国|美濃]][[掾|権大掾]]を経て、[[貞観_(日本)|貞観]]10年([[868年]])[[従五位|従五位下]]に叙せられる。[[清和天皇|清和]]朝から[[光孝天皇|光孝]]朝にかけて、[[兵衛府|右兵衛権佐]]・左近衛少将・[[兵部省|兵部大輔]]といった武官や尾張守など諸国の地方官を歴任したが、父・良門が微官のまま早逝したこともあり昇進は遅く、長らく[[位階]]は従五位に留まった。
 
[[仁和]]3年([[887年]])娘・[[藤原胤子|胤子]]の夫であった光孝天皇の第七皇子・源定省が皇族に復帰し[[即位]]([[宇多天皇]])したことに伴い[[正五位|正五位下]]に叙せられると、[[寛平]]2年([[890年]])正五位上次いで[[従四位|従四位下]]と急速に昇進し、[[寛平]]5年([[893年]])の宇多天皇と胤子との間の皇子・敦仁親王の立太子を受け、[[寛平]]6年([[894年]])に三階級の昇叙により[[従三位]]に叙せられ[[公卿]]に列した。翌寛平7年([[895年]])[[参議]]。
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[[Category:良門流|たかふし]]
[[Category:平安時代の公家]]
[[Category:尾張守]]
[[Category:838年生]]
[[Category:900年没]]