「ジョージ・ジャクソン」の版間の差分

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'''ジョージ・ジャクソン'''(George Jackson、[[1941年]][[9月23日]] - [[1971年]][[8月21日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[アフリカ系アメリカ人]][[共産主義者]]で、[[ブラックパンサー党]]の指導者の一人。
 
18歳のとき[[ガソリンスタンド]]から70[[ドル]]を盗んだ疑いで逮捕され、以後十数回にわたって何度も仮釈放の要請を行ったが、いずれも拒否された(『すべての権力を人民へ 黒豹党は戦いつづける』現代書館より)
 
獄中1966年、収監されていたサン・クエンティン刑務所彼は出会ったW・L・ノーレンという囚人から[[カール・マルクス主義]][[毛沢東思想]]、[[チェ・ゲバラ]]といった共産主義者文献イデオロギー読み、[[1966紹介された。同]]に刑務所内で共産主義者ジャクソンとノーレンはそれらの思想よる立脚した[[ブラック・ゲリラ・ファミリー]]という[[ギャング|ギャング団]]を所内で作り上げた。ジャクソンは独学で[[政治哲学]]や急進的理論を研究し、刑務所の環境を分析してマルクス主義の立場から革命運動を呼びかけるパンフレットをタイプライターで制作するなどした(『ソルダッド・ブラザー』鈴木主税訳、解説より)。また、アフリカ系アメリカ人の解放闘争を行っていた[[ブラックパンサー党]]に入党し、多数の機関紙「ザ・ブラック・パンサー」に論文を寄稿した。後に彼は、同党の「野戦司令官に就任し」となった。
 
[[1970年]][[1月16日]]、ジャクソンは他の囚人2名と共謀して脱獄を図り、看守のジョン・V・マイルズを殺害した罪で死刑判決を受けた。
 
同年[[8月7日]]、彼の弟[[ジョナサン・ジャクソン]]らブラックパンサー党員4名が[[カリフォルニア州]][[マリン郡]]の[[サンラフェル (カリフォルニア州)|サンラファエル地方裁判所]]を襲撃し、ジャクソンの釈放を要求して検事を人質に立てこもったが警官の突入を受け、1名を除く全員が警官に射殺された。
 
[[1971年]][[8月21日]]、ジャクソンは[[サン・クエンティン州立刑務所]]から脱獄を試み、警備員により銃殺された。[[1971年]][[9月9日]]に起こった「[[アッティカ刑務所暴動]]」は、間接的にジャクソン射殺が引き金になったと考えられている。
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