「成田空港問題」の版間の差分

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2000年、[[東京国際空港|羽田空港]]の再拡張と、羽田発着国際線復活の報が流れる。ほぼ時を同じくして、[[茨城県]]の[[航空自衛隊]][[百里飛行場|百里基地]]の民間共用化により、首都圏に第3の国際線空港(茨城空港)の開港が決定する。地元の危惧は羽田の再拡張と茨城空港の開港による成田空港の「地位低下」という、建設開始時とは180度正反対のものになっていた。
 
成田空港は東京をベースとする空港として捉えた場合、都心との距離が開いているため利便性がいいに優れた空港とは言えずい難く、羽田空港に国際線乗り入れが再開されれば相対的に成田空港の地位が低下する。
 
茨城空港は航空会社へのPRとして「着陸料を成田の6割」であることを掲げており、開港に向けて[[格安航空会社]]を中心にシェアの確保を図っており、成田空港から一部国際線の逸走につながる可能性がある。
 
この様な動きの一方で、現在主に暫定滑走路延長線直下の騒音地帯にある東峰部落住民を中心とする反対派農家は「空港と地域の共生」を掲げる地域の大勢の中で孤立化していると言える。東峰部落住民は「現在の暫定滑走路建設や北伸延長をすすめる手法も当初からの政府のやり方と何も変わってい」と批判し、「成田空港廃港」を頑なに主張し続けいる。だが、成田周辺には数多くの空港関係者・航空関係者も暮らす様になり、「空港と地域の共生」「空港の活性化による地域経済の浮揚」という意見が地域の大勢として掲げられている中にあって、反対派はもはや完全に孤立化している状況であり、反対運動全盛期からの関係である熱心な支援者の組織によってどうにか支えられているのが実情である。だが、反対運動全盛期から半世紀を迎えようとする現在となっては、その反対派農家や支援組織の多くも[[高齢化]]などの問題をはらんでいる。
 
=== 反対運動の影響 ===