「石井茂成」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
21行目:
}}
'''石井 茂成'''(いしい しげなり)は、[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]初期にかけての[[
== 生涯 ==
室は[[石井景弘]]の娘。子
父・兄とともに、[[龍造寺隆信]]・政家父子に仕える。[[龍造寺氏|龍造寺家]]の衰退後、鍋島直茂・勝茂父子に従って、朝鮮役に出陣し、活躍。あわせて、伯母陽泰院の威光により、藩の中枢に抜擢され、知行1,250石を拝領し、家老に就任。また一門の石井正国らとともに[[蓮池城]]の城将となる。藩財政の窮乏を憂い、苦心して財政再建五カ年計画私案を書き上げ、藩主勝茂に上程するも、財政再建には失敗する。その他、鍋島家の監視下にあった[[龍造寺高房]]の遺児(庶子)[[龍造寺季明|伯庵]]が、佐賀を出奔した際は、勝茂の命を受けた茂成が伯庵を追いかけ、佐賀に戻るよう説得している。その後、勝茂の五男[[鍋島直澄]]が[[蓮池藩]]を立てると、その付家老として従い、晩年は蓮池藩の藩政の基礎を築くために尽力した。▼
▲父・兄らとともに、[[龍造寺隆信]]・[[龍造寺政家|政家]]父子に仕える。
[[葉隠]]の著述者[[山本常朝]]の祖父[[中野清明]]が浪人している際、石井家の領地に流れてきた清明を賢次・茂成父子が面会し、清明の器量を見込んで、鍋島直茂に推挙したと伝わり、以降、中野家は佐賀藩の重臣として発展する。▼
その後、勝茂の五男[[鍋島直澄]]が[[蓮池藩]]を立てると、その付家老として従い、晩年は蓮池藩の藩政の基礎を築くために尽力した。
▲室は[[石井景弘]]の娘。子息は長男清次(蓮池藩筆頭家老)、次男賢顕(佐賀藩士)、三男七郎右衛門(佐賀藩士)、四男常寿(佐賀藩士、[[沢辺源左衛門]]養子)、長女([[石井正純]]室)、次女([[鍋島茂実 (佐賀藩士)|鍋島茂実]]室)がいる。
▲なお、『[[葉隠]]』の著述者[[山本常朝]]の祖父[[中野清明]]が浪人している際、石井家の領地に流れてきた清明を賢次・茂成父子が面会し、清明の器量を見込んで、鍋島直茂に推挙したと伝わり、以降、中野家は佐賀藩の重臣として発展する。
== 子孫 ==
|