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'''岸慶'''(がんけい、[[1811年]]([[文化 (元号)|文化]]8年) - [[18481811年]]) - [[嘉永]]元年([[1848年]]))は、[[江戸時代]]後期の[[岸派]]の日本画家[[絵師]]。姓は佐伯、名は昌慶。字を士(子)善、号に台岳、護堂。[[岸駒]]の孫に当たる
{{出典の明記|date=2012年1月}}
'''岸慶'''(がんけい、[[1811年]]([[文化 (元号)|文化]]8年) - [[1848年]]([[嘉永]]元年))は、[[江戸時代]]後期の[[岸派]]の日本画家。姓は佐伯、字を士然、号に、台岳。
 
==経歴==
[[岸岱]]の長子として生まれ岸派の日本画を学ぶ。祖父・父同様[[有栖川宮|有栖川宮家]]に仕え、禁裏絵所に出仕、[[主殿寮]]生火官人として[[官位]]と長門介を拝領した。『[[平安人物誌]]』では[[文政]]13年([[1830年]])から[[天保]]9年([[1838年]])に載り、生前京都で高い評価を受けていたことがわかる。しかし、父岸岱より先に没したため、岸派の当主となることもなく、目立った活動は知られていない。画風は、岸駒以来の肥痩ある線を忠実に学んで再現している。
*[[岸岱]]の長子として岸派の日本画を学んび、禁裏絵所に出仕、長門介に叙された。
 
==系譜==
*[[岸礼]]、[[岸誠]]は弟。[[岸駒]]の孫に当たる
 
==参考文献==
* 『京都文化博物館開館10周年記念特別展 京(みやこ)の絵師は百花繚乱 「平安人物志」にみる江戸時代の京都画壇』展覧会図録、[[京都文化博物館]]、1998年
*「平安人物誌」-本書により生前京都で高い評価を受けていたことがわかる。
 
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