「常陸国」の版間の差分

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=== 国分寺・国分尼寺 ===
[[国分僧寺|国分寺]]は石岡市府中にあった。石岡市府中の真言宗智山派浄瑠璃山東方院国分寺(本尊:薬師如来)がその法燈を伝承する。
 
国分尼寺は現存しない。
 
=== 神社 ===
; [[延喜式内社]]
: 『[[延喜式神名帳]]』には、大社7座6社・小社21座21社の計28座27社が記載されている。大社6社は以下に示すもので、全て[[名神大社]]である。
* [[鹿島郡]] [[鹿島神宮]] - 茨城県[[鹿嶋市]]宮中。
* [[鹿島郡 大洗磯前薬師菩薩明神社(現]] [[大洗磯前鹿島]]) - 茨城県[[東茨城郡鹿嶋市]][[大洗町]]。宮中)
* [[久慈鹿島]] 大洗磯前薬師菩薩明神社 (現 [[大洗磯前神社]] - 茨城県[[那珂市東茨城郡]][[大洗町]]静。
* [[筑波久慈郡]] [[筑波山神社]]二座 - 茨城県[[つくば那珂市]]静)
* [[那賀筑波郡]] [[吉田神社 (水戸市)|吉田筑波山神社]]二座 - 茨城県[[水戸つくば市]]宮内町。
* [[那賀郡]] 酒烈磯前薬師菩薩[[吉田神社(現 [[酒列磯前(水戸市)|吉田神社]]) - 茨城県[[ひたちなか水戸市]]宮内町)
* [[新治那賀]] 酒烈磯前薬師菩薩神社 (現 [[稲田酒列磯前神社]] - 茨城県[[笠間ひたちなか市]]
* [[鹿島新治郡]] [[鹿島稲田]] - 茨城県[[鹿嶋笠間市]]宮中。
 
; [[総社]]・[[一宮]]以下は次の通り。
* '''総社''' 総社神社 (常陸総社宮) - とも、石岡市総社
* '''一宮 ''' [[鹿島神宮]]'''
* '''二宮''' [[静神社]]
* '''三宮''' [[吉田神社 (水戸市)|吉田神社]]
[[鎌倉時代]]までにはこの三社で確立していた。
 
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* 利生塔 - 現存しない。
 
== 地域 ==
=== 人口 ===
*[[新治郡 (常陸国)|新治郡]]
*[[真壁郡]]
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*[[多賀郡]](多珂郡)
 
=== 江戸時代の藩について ===
==国司==
常陸国には[[明治維新]]を迎えた藩として[[水戸藩]]、[[御連枝]](分家・支藩)として[[常陸府中藩|府中藩]]、[[常陸宍戸藩|宍戸藩]]、そして付け家老として明治以降独立する[[常陸松岡藩|松岡藩]]、その他に[[土浦藩]]、[[笠間藩]]、[[下館藩]]、[[谷田部藩]]、[[麻生藩]]、[[牛久藩]]、[[下妻藩]]がある。
===常陸守===
 
明治元年から[[廃藩置県]]まで藩となったものに[[志筑藩]]、[[松川藩]]、[[龍ヶ崎藩]]がある。
 
=== 人口 ===
*1721年(享保6年) - 71万2387人
*1750年(寛延3年) - 65万5507人
*1756年(宝暦6年) - 64万1580人
*1786年(天明6年) - 51万4519人
*1792年(寛政4年) - 49万5083人
*1798年(寛政10年)- 49万2619人
*1804年(文化元年)- 48万5445人
*1822年(文政5年) - 49万5575人
*1828年(文政11年)- 49万5859人
*1834年(天保5年) - 45万7321人
*1840年(天保11年)- 49万9761人
*1846年(弘化3年) - 52万1777人
*1872年(明治5年) - 64万8674人
 
出典: 内閣統計局・編、[[速水融]]・復刻版監修解題、『国勢調査以前日本人口統計集成』巻1(1992年)及び別巻1(1993年)、[[東洋書林]]。
 
== 人物 ==
=== 国司 ===
==== 常陸守 ====
*文武4年(700年)10月 百済王遠寶
*和銅元年(708年)3月 阿倍狛秋麻呂
117 ⟶ 142行目:
*天長3年(826年) 甘南備高直
 
==== 常陸太守 ====
*天長3年(826年) 賀陽親王
*天長7年(830年)1月 葛原親王
135 ⟶ 160行目:
*元慶8年(884年)3月 貞固親王
 
==== 常陸介 ====
天長3年(826年)に常陸国が親王任国とされtからは、「常陸介」が実質的な実務上の最高位である。
*[[大伴弟麻呂]] - 783年(延暦2年)任官。
148 ⟶ 173行目:
*[[徳川頼宣]] - 1603年(慶長8年)
 
=== 守護 ===
==== 鎌倉幕府 ====
*1189年~1203年 - [[小田知家]]
*1228年~? - [[小田知重]]
158 ⟶ 183行目:
*?~1333年 - 小田氏・宍戸氏
 
==== 室町幕府 ====
*1335年~1352年 - [[佐竹貞義]]
*1352年~1362年 - [[佐竹義篤 (九代当主)|佐竹義篤]](九代当主)
166 ⟶ 191行目:
*1425年~? - [[山入祐義]]
 
=== 武家官位としての常陸守 ===
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== 人口 ==
*1721年(享保6年) - 71万2387人
*1750年(寛延3年) - 65万5507人
*1756年(宝暦6年) - 64万1580人
*1786年(天明6年) - 51万4519人
*1792年(寛政4年) - 49万5083人
*1798年(寛政10年)- 49万2619人
*1804年(文化元年)- 48万5445人
*1822年(文政5年) - 49万5575人
*1828年(文政11年)- 49万5859人
*1834年(天保5年) - 45万7321人
*1840年(天保11年)- 49万9761人
*1846年(弘化3年) - 52万1777人
*1872年(明治5年) - 64万8674人
 
出典: 内閣統計局・編、[[速水融]]・復刻版監修解題、『国勢調査以前日本人口統計集成』巻1(1992年)及び別巻1(1993年)、[[東洋書林]]。
 
== 江戸時代の藩について ==
常陸国には[[明治維新]]を迎えた藩として[[水戸藩]]、[[御連枝]](分家・支藩)として[[常陸府中藩|府中藩]]、[[常陸宍戸藩|宍戸藩]]、そして付け家老として明治以降独立する[[常陸松岡藩|松岡藩]]、その他に[[土浦藩]]、[[笠間藩]]、[[下館藩]]、[[谷田部藩]]、[[麻生藩]]、[[牛久藩]]、[[下妻藩]]がある。
 
明治元年から[[廃藩置県]]まで藩となったものに[[志筑藩]]、[[松川藩]]、[[龍ヶ崎藩]]がある。
 
== 脚注 ==