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'''石橋 克彦'''(いしばし かつひこ、[[1944年]][[8月1日]] - )は日本の[[地球科学者]]。[[神奈川県]]出身。専門は歴史地震、地震テクトニクス。
 
== 経歴・人物 ==
[[東京大学]][[理学部]]地球物理学科卒業、東大。同[[大学院]]理学系研究科博士課程修了。東大地震研究所助手、[[建設省]][[建築研究所]]国際地震工学部応用地震学室長を経て、[[神戸大学]]都市安全研究センター教授を歴任。現在は[[神戸大学]]名誉教授。
 
[[1976年]]の[[日本地震学会]]および[[地震予知連絡会]]で、[[東海地震]]説のもとになった「駿河湾地震説」を発表したこれはマスコミも盛んに取り上げられ、石橋の名前は一躍有名になり、静岡県周辺の防災対策強化や直前予知体制が官民挙げて進められるきっかけとなった。
 
雑誌『科学』([[岩波書店1997年]])1997年10号で刊誌に論文「原発震災―破滅を避けるために」を発表<ref>『科学』1997年10月号(岩波書店)</ref>。大地震によって[[原子力発電所]]が[[炉心溶融]]事故を起こし、地震災害と[[放射能]]汚染の被害が複合的に絡み合う災害を「[[原発震災]]」と名付けて警鐘を鳴らした。以後、日本国内における[[原子力発電所]]の耐震性を最新の地震学の知見で見直す必要性や、東海地震想定震源域の真上に立地している[[浜岡原子力発電所]]の閉鎖、原発依存からの段階的な脱却、[[高レベル放射性廃棄物]]の地層処分を、地震が多い日本国内で実施する計画に関する懸念などを一貫して主張し続けている。[[2001年には国の]]、[[原子力安全委員会]]耐震指針検討分科会委員に就任し、『発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針』の改訂に関わったが、改訂案が了承される直前の[[2006年]]8月になって、内容を不服として委員を辞任した。「原発震災」への懸念は、[[2011年]]の[[東日本大震災]]で引き起こされた[[福島第一原子力発電所事故]]で現実のものとなった。
 
同年11月には、国会に設置された同原発事故調査委員会の委員への就任が決定した
 
== 著書 ==
* 『地震予知の方法』共著([[1978年]][[東京大学出版会、1978年]])共著:[[浅田敏]]ほか
* 『地震の事典』共著([[1987年]][[朝倉書店、1987年]])共著:[[宇津徳治]]ほか
* 『南の海からきた丹沢 - プレートテクトニクスの不思議』共著([[1991年]][[有隣堂、1991年]])編:神奈川県立博物館
* 『大地動乱の時代 - 地震学者は警告する』 [[岩波書店1994年]]、[[岩波新書〉、1994年]])
* 『阪神・淡路大震災と地震の予測』([[深尾良夫1996年]]との共著)[[岩波書店]]、1996年。)共著:[[深尾良夫]]
* 『阪神・淡路大震災の教訓』 [[岩波書店1997年]]、[[岩波ブックレット〉、1997年。]])
* 『原発と震災~この国に建てる場所はあるのか』共著、[[2011年]]、岩波書店]]、2011年)編:『科学』編集部
* 『原発を終わらせる』[[岩波書店]]〈(2011年、岩波新書〉、2011年
* 『原発震災 警鐘の軌跡』([[2012年]]、[[七つ森書館]])
 
== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
* [http://historical.seismology.jp/ishibashi/ 石橋克彦の歴史地震研究のページ]
 
==脚注==
{{Reflist}}
 
{{DEFAULTSORT:いしはし かつひこ}}