「ゲーリー・オブライト」の版間の差分

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中学時代にアメリカカレッジスタイルレスリング([[アマチュアレスリング|アマレス]])を始め、ネブラスカ大学時代に[[全米大学体育協会|NCAA]](グレコローマン)レスリング選手権スーパーヘビー級を三度制覇。メダルが有力視されていたが、親の看護のために五輪行きを断念。[[1987年]][[12月]]に[[WCW]]のスカウトでプロデビュー。[[1990年]][[6月]][[新日本プロレス]]に参戦するため初来日。[[1991年]][[8月]]に[[UWFインターナショナル]]に参戦し、グレコ仕込のスープレックスで対戦相手をKOし、旋風を巻き起こす。特にフルネルソン・スープレックス([[ドラゴン・スープレックス]])は受身を取ることができず、「'''殺人スープレックス'''」と恐れられた。[[1995年]][[10月]]に[[スティーブ・ウィリアムス]]に誘われて[[全日本プロレス]]に参戦し、[[スタン・ハンセン]]とタッグを組み世界タッグ王座を獲得、[[世界最強タッグ決定リーグ戦]]にも参加するなど活躍した。
 
[[2000年]][[1月7日]]に参戦中だったアメリカのインディー団体WXWの試合中に[[心臓発作]]で倒れ急死した。晩年は糖尿を抱え患っていたと言われる。
 
==タイトル履歴==