「創造社」の版間の差分

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後期には、日本から帰国した[[馮乃超]]、[[王独清]]、[[穆木天]]、[[彭康]]などの新会員が加入した。
 
[[1926年]]、創造社は出版部を閘北宝山路三徳里A11号に設けた。編集部が出版した『A11』は、この住所によったものである。[[1928年]]には、老子路(現在の武進路)518号に移転した。創造社出版部は、『創造月刊』、『A11』週刊、『創造社叢書』など10余種の刊行物や叢書を出版した。
 
[[1929年]]2月、創造社と出版部は、当局によって閉鎖された。