「鳥飼大橋」の版間の差分

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西側(下流側)から、北行道路橋(新橋)、北行道路橋(旧橋)、高速道路橋、南行道路橋(新鳥飼大橋)、モノレール橋と並んでいる。
 
[[{{和暦|1954年]]([[昭和]]29年)}}に竣工した、橋長550mの北行道路橋(旧橋)([[ゲルバートラス橋]])については老朽化が著しく、[[{{和暦|2010年]]([[平成]]22年)}}[[2月27日]](土)早朝に新橋の車道部分3車線が暫定供用開始された。旧橋の撤去後、新橋の拡幅が行われ、{{和暦|2013年(平成25年)}}末に車道3車線+歩道での全面供用開始が予定されている。
 
=== ゲルバートラス橋 ===
{{和暦|2010年(平成22年)}}[[2月26日]]まで[[大阪府道2号大阪中央環状線]]の一部(北行き一方通行2車線)として使用されていたこの橋は、{{和暦|1954年(昭和29年)}}[[11月1日]]に全国初の有料橋として開通したものである。
 
当初、大阪中央環状線建設の一環として、1942年(昭{{17年)暦|1942}}に木造の仮橋の建設が着工された。戦時中のため、建設資材不足にも見舞われたが、1948年(昭{{23年)3暦|1948}}3月に開通した。しかし、木造ゆえに水害などによる破損を繰り返し、また車両の通行による振動も激しく、荷重・速度制限が設定されることになった。
 
永久橋の設置が待ち望まれていたが、1952年(昭{{27年)暦|1952}}に[[道路特別整備法]]が施行されたのを受け、同年9月に有料橋として起工され、建設期間2年2ヶ月、工費3億3千万円(当時)をかけ、全長540m、全幅7.5m、ゲルバートラス型、8基の橋脚と2基の橋台を擁する橋梁が竣工した。
 
管理は[[日本道路公団]]によってなされ(同公団にとって初の有料橋であった)、淀川左岸に料金所が設けられた。建設した大阪府は、国より借り受けた事業費3億3千万円および維持管理費の全額を1970年(昭{{45年)暦|1970}}までに償還する計画を立てたが、償還前に買い取り、1964年(昭{{39年)暦|1964}}[[3月16日]]に無料開放した。
[[ファイル:Torikai old.jpg|thumb|鳥飼大橋料金所]]
 
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** [[原動機付自転車]]:20円
 
開通当初は往復2車線の対面通行であったが、無料開放後の1965年(昭{{40年)暦|1965}}に上流側に新たな道路橋(南行き一方通行2車線)が完成したため、北行き一方通行となった。
 
その後の交通量の増大による著しい老朽化の影響から、架け替えの数年前からは荷重(20トン)・速度制限(40キロ)が設定されていた。
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* [http://j-footage.vox.com/library/video/6a00d41420c1f0685e00d09e5b1590be2b.html あの道この道(昭和33年4月2日)] - [[日本映画新社]]・朝日ニュース昭和映像ブログ(開通当時の鳥飼大橋を取り上げている)
 
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[[Category:大阪府の橋]]
[[Category:守口市]]