「前田三夫」の版間の差分

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前田の指導の特徴として、右の本格派投手の育成と体作りが挙げられる。右の本格派投手の育成は、「[[投手]]とはこうあるべき」という自分の好みを持っており、伊東昭光を自分の考えていたプラン通りに段階を踏ませて結果を残して以来、チームが甲子園で好成績を挙げる時には必ずといっていいほど右の本格派の好投手が存在するように(なお左投手は、上野貴久や吉田圭のようにプロ入りした選手もいるにはいるが在学中にエースナンバーを背負った例は稀で、甲子園出場チームでは2007年夏の垣ケ原達也が初めてと言われている)。
 
そして体作りは、前田が自信を持って臨んだ[[第55回選抜高等学校野球大会|1983年春]]の甲子園1回戦で[[蔦文也]]監督率いる[[徳島県立池田高等学校|池田高]]と対戦し0-11と惨敗を喫した(本人曰く天狗の鼻をへし折られた)のがきっかけとなり、ランニング量増加、ウェートおよび水泳トレーニングの導入、そして食事(昼食には弁当に加えておにぎりも持たせる。合宿時にはどんぶり飯を残さず食べさせる。どんぶり飯もおよそ三合ほど食べさせる)をもトレーニングの一環として組み込み、選手を高校生とは思えない分厚い体へと改造させている。
 
勝利のためには妥協を許さない采配・指導ぶりから一部で批判もあったが、現在では帝京高校の野球を理解するファンも多く、帝京の野球を好むファンもいる。[[1995年]]には[[第67回選抜高等学校野球大会|センバツ]]に出場するものの初戦の和歌山[[伊都高校]]戦にて0-1で敗れ、大会後には練習試合で大敗したことがきっかけで厳しさを増した練習(連日夜の12時まで練習するなどした)についていけず同年春の甲子園出場時の主将を含むレギュラー部員が3人退部(しかし、その部員は後に復帰)。それでも自分を曲げなかった結果、春夏通算3度目の全国制覇を達成した。
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[[ノック (野球)|ノック]]の技術はプロ並で、ホームベースから外野ポールに直撃するフライをいとも簡単に打つことができる。
 
[[第88回全国高等学校野球選手権大会|2006年夏]]に準々決勝で[[智辯学園和歌山小学校・中学校・高等学校|智弁和歌山高]]と対戦し、9回表に投手の[[阿斗里]]に代打を出すなどして4-8から8点を奪い逆転する執念を見せるも、その裏には予選でも投手経験がある選手がいなくなり、最後は押出しの四球により12-13でサヨナラ負けを喫するという壮絶な試合を展開した(詳細は[[第88回全国高等学校野球選手権大会智辯和歌山対帝京]])。
 
翌[[第79回選抜高等学校野球大会|2007年春]]は大型右腕の[[大田阿斗里]]を擁しベスト4。[[第89回全国高等学校野球選手権大会|同年夏]]は大田がケガもあって地方大会から不調だったが、垣ケ原らの活躍もあり3季連続甲子園出場。ベスト8まで進んだ。