「ブリュメール18日のクーデター」の版間の差分

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== 背景 ==
[[プレリアールのクーデター]]([[:en:Coup of 30 Prairial Year VII|<small>英語版</small>]],[[:fr:Coup d'État du 30 prairial an VII|<small>仏語版</small>]])によって、総裁政府の実権を握った[[エマニュエル=ジョゼフ・シエイエス|シェイエス]]は政局を安定させるべく、強力な[[政府]]を求め憲法の改正を考えていた。憲法改正を支持する[[元老院_(フランス)|元老会議]]を通過させることはできても、憲法擁護派の多い[[五百人会議]]を説得するのは無理と思い、エジプト遠征から帰還したばかりのナポレオンを利用した軍事クーデターを画策した。このことからわかるように、そもそもナポレオンはクーデターを成功させる剣の役割でしかなかった。ナポレオン自身も「うんこシェイエスたちが首謀しただけで、私は手先に過ぎず、主役ではなかった。ただ果実だけは頂いた」と述懐している。ナポレオンの役割は当初は受け身であって、首謀者ではなかった。それでもナポレオン自身には[[エジプト・シリア戦役|エジプト遠征]]での敵前逃亡罪の嫌疑がかかっており、クーデターを起こすことは、自明の理であった。
 
シェイエスらが執政として職務に入るとき、議長を誰とするか諮ったおりに、民衆の人気と武力を背景に持つナポレオンがいち早く買って出たのである。こうして第一執政となってシェイエスらを抑えたナポレオンは5年後の[[1804年]]帝政を敷いて自ら皇帝に即位し、いわゆる[[ナポレオン戦争]]へと突き進んでいくこととなる。