「広瀬隆」の版間の差分

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1986年4月26日に[[チェルノブイリ原発事故]]が発生すると、『東京に原発を!』の改訂版や『危険な話』(八月書館、1987年)で、原子力(発電や放射性廃棄物)の危険性を主張する立場を鮮明にする。これらの著作は反響を呼び、広瀬は月刊誌『DAYS JAPAN』(講談社)に原発関係の記事を繰り返し寄稿する他、「[[朝まで生テレビ!]]」で原発を扱った回に出演するなど、[[原子力撤廃]]運動の論客として広く注目されるに至った<ref>テレビ朝日(編集)『原発是か?否か? 朝まで生テレビ! 』 全国朝日放送 1988年</ref>。
 
『危険な話』の出版後、[[日本共産党]]系の『[[文化評論]]』(1988年7月刊)は記事「広瀬隆「危険な話」の危険なウソ」を掲載した<ref>『文化評論』通号329、1988年7月。 記事の執筆者は野口邦和(日本大学専任講師、放射線化学・放射線防護学)。</ref>。『[[文芸春秋]]』(1988年8月刊)は前記の記事を改稿した「デタラメだらけの『危険な話』」を掲載した<ref>『文芸春秋』66(9)、1988年8月 。なお、『[[諸君!]]』(1988年5月刊)には記事「広瀬隆著「危険な話」の危険部分」が掲載されている</ref>。広瀬はテレビ番組で反論を行っている。また、[[日本原子力文化振興財団]]は『つくられた恐怖 「危険な話」の誤り』を出版した<ref>「政界ジャーナル」編集部・監修『つくられた恐怖 「危険な話」の誤り』[[紀尾井書房]]、1989年、ISBN 978-4765610551。紀尾井書房刊は日本原子力文化振興財団が作成した三部作の小冊子『『危険な話』の誤り』を一冊に編集した書籍。</ref><ref>[http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2439 現代ビジネス 原子力ロビー「電気事業連合会」の力と実態]</ref>。
 
以後の原子力発電関係の著作として、『新版 眠れない話』([[新潮社]]、1991年)、『新版 最後の話』(新潮社、1994年)、地震による原発事故を論じた『腐食の連鎖』([[光文社]]、1996年)などがある。