「マイク・ベルナルド」の版間の差分

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{{亡くなったばかりの人物| date=2012-02-14 19:41 }}
{{Kickboxing statsbox
|name=マイク・ベルナルド
|image=
|realname=マイケル・ショーン・ベルナルド<br />(Michael Shawn Bernardo)
|nickname=豪腕<br />南アフリカの剛腕<br />南アフリカの大砲<br />初代[[無冠の帝王]]
|weight=[[スーパーヘビー級]]
|birth_place={{ZAF1961}}<br />[[ケープタウン]]
|death_date={{死亡年月日と没年齢|1969|7|28|2012|2|14}}
|death_place={{ZAF}}<br />ケープタウン
|cm=193cm
|kg=110kg
|no contests=2
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'''マイケル・ショーン・ベルナルド'''('''Michael ShawnMike Bernardo'''、男性、[[1969年]][[7月28日]] - [[2012年]][[2月14日]])は、[[南アフリカ共和国]]出身の元[[キックボクサー]]、元プロ[[ボクサー (スポーツ)|ボクサー]]。スティーブズジム所属。
 
== 人物 ==
 
また、剃刀メーカーのCMなどを代表に、日本でも多くのテレビCMやバラエティ番組にも出演し、温厚で明るくサービス精神旺盛なキャラクターもあって絶大な人気を誇った。
 
2012年2月14日、死去<ref>[http://www.sport24.co.za/OtherSport/Former-SA-fighter-dies-20120214 Former SA fighter dies] News24.com 2012年2月15日閲覧</ref>。{{没年齢|1969|7|28|2012|2|14}}。自ら命を絶ったとみられている。
 
== 来歴 ==
[[1995年]]3月3日、K-1 GRAND PRIXで初来日。開幕戦で優勝候補の[[アンディ・フグ]]と対戦。1Rに先制のダウンを奪われるが、3Rに[[番狂わせ]]の逆転KO勝ちを収めて一躍脚光を浴びる。
 
5月4日、「K-1 GRAND PRIX '95 決勝戦」では準々決勝で[[スタン・ザ・マン (キックボクサー)|スタン・ザ・マン]]に右上段蹴りでKO勝ち。準決勝で[[ジェロム・レ・バンナ]]とのリベンジ戦が実現するが右ローキックでKO負け。K-1 GP参戦出場でベスト4入りを果たし、バンナとともに、衝撃のK-1デビューを飾ることとなった。
 
9月3日、「K-1 REVENGE II」にて[[アンディ・フグ]]と再戦し、またしても豪快なKO勝ちを収めてフグを返り討ちにして前回の勝利がフロックでないことを証明した。
 
12月9日、「K-1 HERCULES」にK-1 GPを2連覇中の王者[[ピーター・アーツ]]と初対戦し、右フックを浴びて1Rわずか40秒でKO負け。KOされた右フックがベルナルドの後頭部を直撃しており、反則であることをレフェリーに主張したが、故意ではなく一連の流れの中で当たったものとみなされ、秒殺KO負けした悔しさもあいまって人目をはばからず悔し涙を流した。
 
=== トップスター入り ===
[[1996年]]3月10日、K-1 GRAND PRIX '96 開幕戦の1回戦ではジェフ・ルーファスにKO勝ち。
 
5月6日、「K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦」の準々決勝で、3連覇を狙う絶対王者[[ピーター・アーツ]]と対戦し、アーツを圧倒し、最後は左フック一撃で豪快なKO勝ちでリベンジを果たした。続く準決勝で[[武蔵 (格闘家)|ムサシ(現・武蔵)]]| に3-0の判定勝ち。決勝で[[アンディ・フグ]]と対戦し、ローキックとフグ・トルネードでダウンを奪われてKO負けし、惜しくも準優勝に終わる。しかし、優勝候補大本命のアーツを相手に、お互いが万全の状態で戦える初戦でKO勝ちしたことによって「ワンマッチ最強」と評されるようになった。
 
9月1日、「K-1 REVENGE '96」で[[ピーター・アーツ]]と再戦。アーツの蹴りが[[ローブロー]]となってベルナルドが試合続行不可能となり、反則勝ちを収めとなった。
 
10月8日、「K-1 STAR WARS '96」で決着を着けるべく、[[ピーター・アーツ]]と再戦。先制のダウンを奪われるが、その後に猛反撃し、3RKO勝ち。
 
[[1999年]]6月20日、「K-1 BRAVES '99」にてWAKO-PRO世界ムエタイスーパーヘビー級王座の初防衛戦で[[サム・グレコ]]と対戦し、壮絶な激闘の末に判定負けで同王座から陥落。
 
10月3日、「K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦」のGP1回戦で[[ミルコ・クロコップ]]と対戦し、ミルコの左ハイキックとパンチ連打で3度ダウンを奪われ、[[番狂わせ]]の1RKO負け。
 
亡きフグの代わりに同年のK-1 WORLD GP優勝に向けて闘志を燃やしていたが、怪我によって無念の欠場となった。
 
[[2001年]]3月17日、「K-1 GLADIATORS 2001」で[[ジェロム・レ・バンナ]]と対戦。この試合では試合前から負傷していたバンナの左脛にサポーターを着けることが両者合意の下、特別に承認された。1ラウンド終了間際、ベルナルドの体を入れ替えての左右のフックがバンナの顔面に直撃し、1ラウンド終了のゴングが鳴っているにもかかわらず観客の大歓声でゴングの音がかき消され、レフェリーには聞こえず、ベルナルドはそのまま攻撃を続けてダウンを奪った。ダウンは無効となり、ベルナルド、バンナ本人ともに2ラウンド以降を戦う気満々だったが、バンナのセコンドが抗議して試合を棄権させたため、一度は1ラウンドKO勝ちと判定されるも、検証の結果、ダウン後の攻撃であることを踏まえてノーコンテスト(無効試合)となった。
 
7月20日、「K-1 WORLD GP 2001 in NAGOYA」にて予選トーナメント1回戦で[[タケル (格闘家)|タケル]]にKO勝ち、準決勝で[[ロイド・ヴァン・ダム]]に延長戦の末に判定勝ちするも、負傷のため決勝戦を棄権した。
6月26日、WGP開幕戦出場のために、過去の栄光もプライドも捨てて、ジャパンGP予選に出場。優勝候補本命と目されたが、1回戦で[[富平辰文]]にKO負け。日本人相手に初の黒星となった。
 
11月6日、[[新日本キックボクシング協会]]主催の「TITANS 1st」において、1月後にK-1 WORLD GP決勝大会出場を控えた[[ガオグライ・ゲーンノラシン]]が出場することになり、この大会でガオグライが負ければガオグライに勝った選手を代わりにK-1 WGP決勝大会に出場させることを[[谷川貞治]]が示唆したため、最後の希望を懸けてベルナルドが対戦に名乗り挙げた。試合はパンチやキックだけでなく、滅多に打たないバックスピンキックまで放って勝利への執念を見せたベルナルドだったが、ガオグライの巧みな「マトリックス・ディフェンス」を崩すことはできず、互いに決定打を欠いたまま引き分けドロー。これがベルナルドの現役最後の試合となった。
 
その後も、悲願のK-1 WORLD GP初優勝を目指して必死にトレーニングを続けていたが、長年のダメージの蓄積による衰えは隠せず、[[2006年]]に現役引退を表明し、同年9月30日のK-1 WORLD GP 開幕戦で引退セレモニーが開催された。
 
現役引退後は、2007年に「K-1 JAPAN TRYOUT」において[[アーネスト・ホースト]]と共にコーチを務め、日本人選手の育成に取り組み、南アフリカでチーム・ベルナルドの合宿も行った<ref>[http://www.k-1.co.jp/jp/news/2007/0717_tryout_01.html TRYOUT組が気合い満々 ついに海外合宿がスタート!!] K-1公式サイト 2007年7月17日</ref>。しかし、K-1 JAPAN TRYOUTの企画終了後は公の場からは姿を消していた
 
2012年2月14日、母国・南アフリカのケープタウンで死去<ref>[http://www.sport24.co.za/OtherSport/Former-SA-fighter-dies-20120214 Former SA fighter dies] News24.com 2012年2月15日閲覧</ref>。{{没年齢|1969|7|28|2012|2|14}}。自ら命を絶ったとみられている。
しかし、K-1 JAPAN TRYOUTの企画終了後は公の場からは姿を消していた。
 
== エピソード ==
* 敬虔なクリスチャンとしても有名で、試合用トランクスには十字架が描かれていた。また、バンテージチェック後マジックでバンテージにも十字架を書いていた。
* とても人柄が良いことで知られている。2001年のジェロム・レ・バンナとの試合前日会見の際、バンナが脛を14針も縫う怪我を負っていたことを知っていたベルナルドは「ジェロムが足を怪我しているというなら、パンチだけで勝負してもいいよ。僕らはお互いに素晴らしいパンチャー同士だからファンも喜ぶだろうからね」と発言したほどである(しかし、プライドの高いバンナは「そんな気遣いは無用だ!ニヤニヤしてんじゃねえ!」と逆に怒ってしまった)。
* 親日派でもあり、日本で行われた自身の結婚式では[[袴]]を着用し、婦人は[[高島田|文金高島田]]の出で立ちであった。また、引退セレモニーのスピーチも一部を日本語でコメントしている。
* 2004年、入場テーマ曲に自ら参加した[[MCU (ラッパー)|SEAL]]の「マイ・セルベイション」を使用する<ref>[http://www.bounce.com/news/daily.php/3956/ KICK THE CAN CREWのMCUが新バンド、SEALを結成] bounce.com 2004年8月16日</ref>。
* 2005年に開催された[[2005年日本国際博覧会|愛知万博]]では、南アフリカ館親善大使に任命された。
* 弟の[[カール・ベルナルド]]も、K-1のリングにあがっている(K-1 REVENGE '96にて初来日。[[アーネスト・ホースト]]に2RKO負け)。
* K-1黎明期から共に活躍してきた[[アンディ・フグ]]、[[ピーター・アーツ]]、[[ジェロム・レ・バンナ]]らとは良きライバルであり、友人でもある。前述のようにベルナルドのキャリアのターニング・ポイントには彼ら三人が関わっており、ベルナルド自身も彼らをライバル視する発言が多かった。また、ベルナルドの現役引退セレモニーが行われたK-1 WORLD GP 2006 開幕戦後のインタビューでは、「僕は結局K-1 WORLD GPで優勝できなかったけど、僕と同じ年にK-1デビューして今も初優勝を目指してるジェロムに僕がかなえられなかった夢を託すよ」とコメントしていた。
 
== 戦績 ==
{{Fight-cont|○| [[ユルゲン・クルト]]| 1R 2:24 KO(右フック)| K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA<br />【1回戦】| 2000年10月9日}}
{{Fight-cont|○| [[セルジオ"ブラック・パンサー"エスペ]]| KO| K-1 WORLD GP 〜アフリカ地区予選| 2000年9月3日}}
{{Fight-cont|-| [[ジャスティン・フォーチュン]]| 1R 1:03 無効試合(バッティング)| K-1 WORLD GP 2000 in NAGOYA| 2000年7月30日}}
{{Fight-cont|×| [[ミルコ・クロコップ|ミルコ"クロコップ"フィリポビッチ]]| 1R 1:20 KO(3ノックダウン:パンチ)| K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦<br />【1回戦】| 1999年10月3日}}
{{Fight-cont|○| [[ロニー・セフォー]]| 4R 1:24 KO(右フック)| K-1 SPIRITS '99| 1999年8月22日}}
49,118

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