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{{出典の明記|date=2012年1月|ソートキー=学文てつかく}}
'''東洋哲学'''(とうようてつがく、[[英語]]:eastern philosophy)とは、[[ヨーロッパ]]から見た[[東洋]]すなわち[[アジア]]で生まれた[[哲学]]や[[思想]]を一緒くたに纏めた用語。[[中国哲学]]思想[[インド哲学]]思想、[[イスラム哲学]]など、[[日本哲学]]も含まれる。これは本来[[インド文明]]、[[中華文明]]([[日本]]、[[韓国]]、[[ベトナム]]なども含む)などと同列の個別文明に過ぎない欧州文明を特別視するという点で欧米中心主義的な言葉である。
 
== インド哲学思想 ==
{{main|インド哲学}}
厳しい自然風土と錯綜した複雑な社会構造のもとで、古代インドでは生活の基本となる思想や学問が求められた。そこで生まれたのが[[ヴェーダ]](Veda)、[[ウパニシャッド]](Upanisad)の哲学思想である。『[[リグ・ヴェーダ]]』(Rg-Veda)は上天(deva)への讃歌集であり、そこでは、自然現象や抽象概念などが神格化されている。それらの諸神は、[[三界]]に配されており、祭祀の際には諸神の中の一神を勧請してきて現世的な利益をもとめることが行なわれていた。ヴェーダ経典には[[ブラーフマナ]](Brahmana)という注釈書が作られ、さらに、ヴェーダ経典を集大成したウパニシャッドや[[アーラヌヤカ]]によってより深化することとなった。そこでは、宇宙の根元を[[ブラフマン]](brahman)と呼び、それに対して人間に内在する原理を[[アートマン]](atman)と名づけ、その二者が一体化した状態を求めることとなった。同時に、人間の行為の善悪の果報の原因を、前生の[[業]](karman)に求める[[輪廻]]の思想も発達した
 
== 中国哲学思想 ==
{{main|中国哲学}}
中国の思想の源流は[[シャーマニズム]]である。[[春秋戦国時代]]に、覇を争った諸侯のための[[政治哲学思想]]として、'''[[儒家]]'''や'''[[道家]]'''に代表される[[諸子百家]]が、それぞれ自説の優位性を諸侯に説いた。[[前漢|漢]]代以降、[[武帝 (漢)|武帝]]の時代に国教的地位を獲得し、儒家思想から洗練されていった[[儒教]]と、道家の[[老荘思想]]を取り入れてはいるが、実際は[[秦]]の方士[[徐福]]のような不老長生を説く[[仙人|神仙]]思想から発展した[[道教]]が発達した。
 
また、[[後漢]]代に[[仏教]]が伝来し、[[六朝]][[隋]][[唐]]代に盛行した。この時期より、中国哲学は、[[三教]]を中心とした[[宗教哲学]]として展開する。体系的な[[仏教哲学]]の影響をうけ、[[南宋|宋]]代に、儒教は[[朱熹]]らによって体系的な哲学として再構成された。また道教もそれまでの民間宗教から官僚的ヒエラルキーと[[五行思想|五行]]論に基づく理論性を発展させた。仏教自体も、道教的な非論理的傾向を吸収して[[インド仏教]]とは異質な[[中国仏教]]としての[[禅宗]]や[[浄土教]]を生み出した。またそれは、最初は対立していた儒仏道の[[三教]]が、次第に融合していく過程でもある。
 
[[明]]代には朱熹らの[[性即理]]に対して、[[心即理]]を説く[[王陽明]]の[[陽明学]]が隆盛した。が、王陽明の主張を見ると、そこには禅宗の影響が非常に色濃いことは明白である。これら中国哲学・思想の特徴は、世俗性・実践性が強いことである。
 
== 日本哲学 ==
{{main|日本哲学}}
日本哲学は伝統的には中華系に属する。日本では大陸渡来の[[仏教]]・[[儒教]]と、日本古来の[[神道]]などの[[宗教]]思想が混在してきた。これは[[中華世界]]の周辺(朝鮮、越南)の哲学に共通した特徴である。