「ガイドウェイバス」の版間の差分

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=== <!--JP-->日本 ===
1985年に[[建設省]](当時)を主体としてガイドウェイバスの開発が開始され<ref name="65-13"/>、1989年に[[アジア太平洋博覧会]]の会場内輸送機関として0.9kmのガイドウェイバスが運行されたのが始まりである<ref name="65-13"/>。1990年には[[名古屋市]]において事業化が決定し<ref name="65-13"/>、1994年には主体となる事業者が設立され<ref name="65-13"/>、2001年3月23日に[[大曽根駅]]と[[小幡緑地駅]]を結ぶ6.5kmの区間において、[[名古屋ガイドウェイバス]]によって「[[名古屋ガイドウェイバスガイドウェイバス志段味線|ゆとりーとライン]]」として本格的な営業運行が開始された<ref name="65-12">[[#BR65|『バスラマ・インターナショナル』通巻65号 p.12]]</ref>。
 
{{Double image aside|right|Nagoya Guideway Bus-G-13.jpg|200|Yutoreet-Line-Ozone-Sta.jpg|190|高架の専用路を走行する「[[名古屋ガイドウェイバスガイドウェイバス志段味線|ゆとりーとライン]]」|停車場もバス用としては大規模な構造物となっている(大曽根駅)}}
日本で導入されたガイドウェイバスは、他のガイドウェイバス導入国と異なる特徴をいくつか有する<ref name="466-90"/>。
 
日本のガイドウェイバスの最大の特徴は、他の導入国では専用路区間であってもバスとして扱われているのに対し<ref name="466-90"/>、日本においては[[トロリーバス|無軌条電車(トロリーバス)]]、つまり軌道法の適用を受ける鉄道の一種として扱われていることである<ref name="65-15">[[#BR65|『バスラマ・インターナショナル』通巻65号 p.15]]</ref>。このため、アジア太平洋博覧会が行われた[[福岡県|福岡]]では[[路面電車]]の運転免許([[動力車操縦者#運転免許の分類|乙種電気動力車運転免許]])とバスを運転するための免許([[大型自動車]][[第二種運転免許|第二種免許]])を両方とも保持する乗務員が運行を担当した<ref name="65-15"/>。名古屋でも無軌条電車の運転免許(乙種電気[[動力車操縦者#運転免許の分類|無軌条電車運転免許]])を取得したバス乗務員が運行を担当する<ref name="65-15"/>。専用路区間での最高速度は60km/hで、これも無軌条電車の法規が由来である<ref name="65-15"/>。
 
また、専用路区間は他の導入国が地平に設けているのに対し、全線高架で整備されている<ref name="466-90"/>。このため、1kmあたりの整備費は54億円に達し<ref name="466-90"/>、他の導入国と比較すると異常なほど高額の整備費である<ref name="466-90"/>。バスの乗降施設についても、モノレールの駅に匹敵する大掛かりな規模となっており<ref name="2001-80">[[#鈴木2001|『路線バスの現在・未来 PART2』p.80]]</ref>、通常のバスのように路上から乗れる気軽さはない<ref name="2001-80"/>。さらに、運行規定では1駅間の走行台数は1台以下と決められており<ref name="65-15"/>、通常のバスのような続行運転は出来ない<ref name="466-90"/>。このような事情から、日本のガイドウェイバスに対しては「バスの機動性を十分に生かせていない」<ref name="466-90"/>、「整備費用の低減というメリットも実現できていないのでは」<ref name="2001-80"/>という意見もある。