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この間、[[1228年]]には[[中央アジア]]の[[バルフ]](現在の[[アフガニスタン]]北部)に生まれた[[スーフィーズム|イスラム神秘主義者]]、[[ルーミー]](メヴラーナ)が[[カイクバード1世]]の招請によってコンヤに定住、[[1273年]]に亡くなるまでコンヤで活動し、トルコを代表する神秘主義教団である[[メヴレヴィー教団]]を開いた。コンヤにあるルーミーの[[廟|墓廟]]はオスマン帝国期にはメヴレヴィー教団の道場に使われていたが、[[1927年]]に[[ケマル・アタテュルク]]政権によって神秘主義教団が解散され、ルーミー廟は閉鎖された。廟は現在はメヴラーナ博物館として一般公開されており、宗教性を薄められた今もなおコンヤを代表する建造物である。この他、コンヤにはカイクバード1世の建立したアラエッディン・モスクや[[セリム2世]]のセリミエ・モスクなど多くの[[モスク]]があり、アナトリア随一の宗教都市として繁栄したかつての姿を現在に伝えている。
 
[[ファイル:K Eseroglu Bozkir1.jpg|thumb|right|200px|市内風景]]
[[ファイル:Konya, tram No. 107 (01).jpg|thumb|right|200px|コンヤの路面電車]]
 
== 姉妹都市 ==