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== 人物・来歴 ==
イタリアの[[ヴェネツィア]]で生まれ、[[パドヴァ大学]]で精神医心理と脳外科を学ぶと同時にマルチェルロ音楽院で作曲を専攻する。
 
その後、[[ダルムシュタット]]で[[カールハインツ・シュトックハウゼン|シュトックハウゼン]]や[[ブルーノ・マデルナ|マデルナ]]のクラスに在籍。[[ウィーン国立音楽大学|ウィーン音楽院]]では[[ハンス・スワロフスキー]]や[[カール・エスターライヒャー]]について[[指揮 (音楽)|指揮法]]を師事。
 
[[1975年]]、現代音楽の演奏を目的として師の名を冠したブルーノ・マデルナ・アンサンブルを設立、指揮者としてのデビューを飾る。
[[1981年]]、[[バイエルン国立歌劇場]]で初演された歌劇「ルー・ザロメ」(''Lou Salomé'')などの作品によって現代音楽の作曲家としても名をなしていた。
 
以上のような経歴(死の直前には[[考古学]]の[[学位|博士号]]も取得)からインテリ指揮者としての側面がクローズアップされ、衒学的で音楽解釈に精神医学的観点の援用を示唆する言動や彼の異色の音楽解釈は、熱烈な崇拝と批判を同時に呼び起こした。[[グスタフ・マーラー|マーラー]]、[[リヒャルト・シュトラウス]]、[[プッチーニ]]ら、独伊の後期ロマン派の管弦楽曲及びオペラでの解釈が、特に知られていた。レコーディングも自腹で、ドイツ・[[グラモフォン]]、[[フィリップス・レコード|フィリップス]]、テルデックなど、クラシックの一流レーベルから数多くのCDを発売していた、スター指揮者であった。
 
[[2001年]][[4月20日]]、[[ベルリン・ドイツ・オペラ]]で[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]の歌劇「[[アイーダ]]」を指揮中、第3幕の所で[[心筋梗塞]]で倒れ急逝する。