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'''島津 久般'''(しまづ ひさとし、[[寛保]]3年([[1743年]]) - [[宝暦]]11 年([[1761年]])は、[[江戸時代]]中期の[[鹿児島藩]]士。鹿児島藩主[[島津氏]]の一族で[[都城市|都城]]私領主である [[北郷氏|都城島津氏]](北郷氏)21代当主。
20代都城島津氏当主[[島津久茂]]の嫡男。母は二階堂行寧の女。幼名は岩袈裟。通称は丹後、筑後。
== 経歴 ==
寛保3年(1742年)生まれ、[[宝暦]]4年([[1754年]])、[[鹿児島城]]に於いて[[元服]]し、久般と名乗る。
同7年([[1757年]])、父久茂から家督を譲られる。同11年([[1761年]])、島津氏宗家[[島津重豪]]の拝謝使として家老以下を随え江戸へ赴き、将軍[[徳川家治]]に拝謁し、太刀、馬等を献上する。程なくして[[疱瘡]]に感染し、江戸にて死去。享年19歳。
法号「高勝院殿泰心了道大居士」。墓所は龍峰寺。
==参考文献==
*瀬戸山計佐儀『都城島津家歴代史
*『都城市史』
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[[Category:北郷氏]]
[[Category:島津氏|ひさとし]]
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[[Category:1743年生]]
[[Category:1761年没]]
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