「フランシス・ゲーリー・パワーズ」の版間の差分

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U-2を使用した偵察活動の内容はソ連などの敵国上空から軍事施設やその他の重要施設の写真を撮影することであった。1960年5月1日、パワーズの操縦するU-2はソ連[[スヴェルドロフスク]]上空で[[ソ連防空軍]]のSAM([[地対空ミサイル]])によって撃墜された。[[パラシュート]]降下した[[コスリノ]]村で彼を救出した地元住民は当初[[赤軍]]兵士と勘違いしたが、所持品からスパイと見破った。
 
パワーズは[[公開裁判]]にかけられ、[[スパイ]]行為を行っていたことを自白した。[[8月19日]]、ソ連に対する[[諜報]]行為のため有罪を宣告され、[[禁固]]10年を言い渡され、[[シベリア]]に送られた。しかし、元OSSのドノバン弁護士とソ連側のシスキン[[ソ連国家保安委員会|KGB]]西欧本部書記官間の交渉により、[[1962年]][[2月10日]]、[[東ドイツ]](当時)・[[ポツダム]]のグリニーケ橋にて、同じくスパイ容疑で拘留されていたアメリカの学生[http://フレデリック・プライヤー フレデリック・プライヤー](フリードリッヒ通りで解放)とともに、アメリカで逮捕されたKGB大佐[[ルドルフ・アベル]]と交換され、無事アメリカに帰国することができた。
 
=== アメリカ帰国後 ===