「ニューアーク (防護巡洋艦)」の版間の差分

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ニューアークは3月1日に[[観艦式]]に参加し、3月21日に[[ハバナ]]に到着、ニーナをそこで分離し[[ハンプトン・ローズ]]と[[ニューヨーク]]に向かう。ニューヨークで再びキャラベル船を牽引し[[セントローレンス川]]を下って[[ケベック]]に向かう。6月11日にケベックでキャラベル船を切り離し、22日にノーフォークに帰還した。9月20日に[[ブラジル]]の[[リオデジャネイロ]]に向けて出航、10月20日に到着し1894年4月1日まで留まる。その後[[南アメリカ]]の沖合で南大西洋戦隊と共に作戦活動を行い、8月から10月まで[[南アフリカ]]へ巡航した。翌年の8月から10月に再び南アフリカを訪問し、1896年4月27日にノーフォークに帰還した。5月4日に北大西洋ステーションに配属され、6月25日に戦隊と合流、南東海岸沖で偵察任務および演習に従事し、1897年3月6日にノーフォークで退役した。
 
広範囲なオーバーホールの後、ニューアークは1898年5月23日、[[米西戦争]]開戦直後に艦長A・S・バーカー大佐の指揮下再就役した。6月13日に[[キーウェスト]]および[[キューバ]]に向けて出航し、6月30日に封鎖部隊に加わる。その年の夏を通してキューバ水域を巡航し、8月12日には[[マンサニヨ]]への砲撃を行い、翌日スペイン軍は降伏した。[[サンティアーチャゴ・デ・キューバ]]の後、ニューアークは[[パスクワル・セルベラ]]提督の艦隊に対する最終攻撃に参加した。ニューアークは1898年11月26日にニューヨークに帰還した。
 
1899年3月23日にニューヨークを出航したニューアークは南アメリカの偵察を行い、途中多くの港を訪問した。航海途中の4月7日、ニューアークは[[マゼラン海峡]]を通って[[サンフランシスコ]]へ向かう様命じられる。ニューアークは[[石炭]]が不足し、[[チリ]]のポート・ロウへの寄港を強いられた。5月31日から6月22日まで同港に立ち寄り、燃料として木を切った。ニューアークは9月4日に[[メア・アイランド海軍工廠]]に到着し、修理を行った後10月17日に出航、[[ホノルル]]を経由して11月25日に[[フィリピン]]の[[カヴィテ]]に到着、[[米比戦争]]での[[アメリカ陸軍]]を支援した。[[ルソン島]]の[[ビガン]]沖に停泊したニューアークは、駐屯部隊を上陸させた後12月10日に[[アパリ]]に移動、[[カガヤン州]]、[[イサベラ州]]、[[バターン州]]で敵の降伏を受諾した。
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