「サルサ (音楽)」の版間の差分

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1964年、ジョニー・パチェーコは、法律家のジェリー・マスッチとともに[[ファニアレコーズ]]を創立する。[[ウィリー・コロン]]、[[エクトル・ラボー]]、[[ジョー・バターン]]などの若手アーティストのヒットを飛ばして地盤を固め、後にティコ、アレグレを吸収する一大レーベルとなる。レーベルのアーティストのショウケースとして結成された[[ファニア・オール・スターズ]]は、1968年6月8日にレッド・ガーターで第一回興行を行った。
 
アフリカ系アメリカ人の若者が[[ブラックパンサー党]]を結成したことに触発されたニューヨリカンの若者たちが[[ヤングローズ]]を結成するなど、1960年代後半は若者が政治活動に強く関わった時代であった。この社会変化の中でファニア・オール・スターズは、長く親しまれてきたソンや、プエルトリコ独自の音楽である[[プレーナ]]を採り入れた曲でシングルヒットを出し続け、1971年8月26日にはナイトクラブチーターでの歴史的なコンサートを行った。その後彼らは世界中をツアーし、サルサの認知に貢献した。ファニア・オール・スターズは1973年8月24日に、ニューヨークの[[ヤンキースタジアム (1923年)|ヤンキースタジアム (1923年)]]で4万人の観衆を前にコンサートを行った。この時は興奮した観衆がフィールドになだれ込んできて途中で中止となる事態となった。
 
===1970年代===