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'''藤本 京太郎'''(ふじもと きょうたろう、男性、[[1986年]][[6月23日]] - )は、[[日本]]の[[プロボクサー]]。[[角海老宝石ボクシングジム]]所属。[[大阪府]]出身。元キックボクサーで第2代[[K-1]][[ヘビー級]]王者
== 人物 ==
日本人史上初のK-1重量級世界王者であり、試合ごとに変わる奇抜かつ派手なヘアースタイルが特徴。その髪型とは裏腹に[[スーパーヘビー級]]の外国人選手との対戦においてのファイトスタイルはフットワークを活かした[[カウンターアタック|カウンター]]狙いの[[アウトボクシング|ヒット・アンド・アウェイ]]が中心。しかし、2008年に[[マイティ・モー]]に判定勝利しながらも、あまりにも露骨に逃げ回りながらのカウンター狙い一辺倒の戦法だったために批判を浴び、金星を上げたにもかかわらず[[地上波]]放送でもカットされ、K-1プロデューサーの[[谷川貞治]]からも注意されたことをきっかけに打ち合う場面も増えている。また、1度しか[[ノックダウン|ダウン]]を喫したことが無い打たれ強さも持つ。
キックボクサー時代は[[リングネーム]]の変更が多く、
2010年6月1日より[[芸能事務所]]「[[プラチナムプロダクション]]」とマネージメント提携を開始。
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2011年に入り、所属するK-1の経営母体である[[FEG]]の経営難が表面化し、特に京太郎の所属するヘビー級については全く興行の目処が立たない状況になってしまった。このため京太郎は同年5月に[[東京スポーツ]]紙上でプロレスラーへの転向を図る意向を表明した。これを受けて[[全日本プロレス]]が京太郎にオファーを出し、同年[[6月19日]]の両国国技館大会において[[船木誠勝]]との対戦でプロレスデビューを飾った<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20110620-792785.html 京太郎打撃勝負も船木に敗れる/全日本] - 日刊スポーツ・2011年6月20日</ref>。6月28日には全日本プロレスの合同練習に参加し、改めてプロレスに専念する意向を示した<ref>{{Cite web|date=2011-06-28|url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/text/201106280006-spnavi.html|title=K-1王者・京太郎が本格的プロレス修行へ 「プロレス一本に気持ちをしぼりたいですね」|publisher=[[スポーツナビ]]|accessdate=2011-06-29}}</ref>。
しかし最終的にプロ[[ボクシング]]への転向を決意してK-1ヘビー級王座を返上し、同年10月に角海老宝石ボクシングジムへ入門することになった<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20111022-853184.html 京太郎、K-1王座返上しボクシング転向] - 日刊スポーツ・2011年10月22日</ref>。また、ボクシング転向を発表した際の記者会見で、京太郎自身にも[[ファイトマネー]]未払いがあったことを告白した。同年12月2日に行われたプロテストでB級ライセンスに合格しており、大晦日に地元の[[大阪府立体育会館]]で行われる[[井岡一翔]]の世界タイトルマッチの前座でデビュー
== 戦績 ==
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