「藤本京太郎」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
12行目:
|death_date=
|death_place=
|style=オーソドックス
|total=1
|wins=1
|KO=0
|losses=0
|draws=
|no contests=
|}}
{{Kickboxing statsbox
|name=京太郎
|image=
|realname=藤本 京太郎
|nickname=JAPANの新星<br />傾奇者<br />歌舞伎レンジャー<br />トライアウトの一番星
|weight=[[ヘビー級]]([[K-1]])
|nationality={{JPN}}
|birth_date={{生年月日と年齢|1986|6|23}}
|birth_place=[[大阪府]]
|death_date=
|death_place=
|cm=183cm
|kg=99kg
|style=[[キックボクシング]]<br />[[空手道|空手]]
|total=
|wins=
|KO=
|losses=
|draws=
|no contests=
|}}
 
'''藤本 京太郎'''(ふじもと きょうたろう、男性、[[1986年]][[6月23日]] - )は、[[日本]]の[[プロボクサー]]。[[角海老宝石ボクシングジム]]所属。[[大阪府]]出身。元キックボクサーで第2代[[K-1]][[ヘビー級]]王者。かつてはキックボクサーとして[[チームドラゴン]]に所属していたが、現在は[[ボクサー]]として[[角海老宝石ボクシングジム]]所属
 
== 人物 ==
日本人史上初のK-1重量級世界王者であり、試合ごとに変わる奇抜かつ派手なヘアースタイルが特徴。その髪型とは裏腹に[[スーパーヘビー級]]の外国人選手との対戦においてのファイトスタイルはフットワークを活かした[[カウンターアタック|カウンター]]狙いの[[アウトボクシング|ヒット・アンド・アウェイ]]が中心。しかし、2008年に[[マイティ・モー]]に判定勝利しながらも、あまりにも露骨に逃げ回りながらのカウンター狙い一辺倒の戦法だったために批判を浴び、金星を上げたにもかかわらず[[地上波]]放送でもカットされ、K-1プロデューサーの[[谷川貞治]]からも注意されたことをきっかけに打ち合う場面も増えている。また、1度しか[[ノックダウン|ダウン]]を喫したことが無い打たれ強さも持つ。
 
キックボクサー時代は[[リングネーム]]の変更が多く、過去には「'''前田 慶次郎'''」「'''狂太郎レンジャー'''」「'''強太郎レンジャー'''」、キック引退時は「'''京太郎'''」というリングネームを使用していた。
 
2010年6月1日より[[芸能事務所]]「[[プラチナムプロダクション]]」とマネージメント提携を開始。
90 ⟶ 69行目:
2011年に入り、所属するK-1の経営母体である[[FEG]]の経営難が表面化し、特に京太郎の所属するヘビー級については全く興行の目処が立たない状況になってしまった。このため京太郎は同年5月に[[東京スポーツ]]紙上でプロレスラーへの転向を図る意向を表明した。これを受けて[[全日本プロレス]]が京太郎にオファーを出し、同年[[6月19日]]の両国国技館大会において[[船木誠勝]]との対戦でプロレスデビューを飾った<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20110620-792785.html 京太郎打撃勝負も船木に敗れる/全日本] - 日刊スポーツ・2011年6月20日</ref>。6月28日には全日本プロレスの合同練習に参加し、改めてプロレスに専念する意向を示した<ref>{{Cite web|date=2011-06-28|url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/text/201106280006-spnavi.html|title=K-1王者・京太郎が本格的プロレス修行へ 「プロレス一本に気持ちをしぼりたいですね」|publisher=[[スポーツナビ]]|accessdate=2011-06-29}}</ref>。
 
しかし最終的にプロ[[ボクシング]]への転向を決意してK-1ヘビー級王座を返上し、同年10月に角海老宝石ボクシングジムへ入門することになった<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20111022-853184.html 京太郎、K-1王座返上しボクシング転向] - 日刊スポーツ・2011年10月22日</ref>。また、ボクシング転向を発表した際の記者会見で、京太郎自身にも[[ファイトマネー]]未払いがあったことを告白した。同年12月2日に行われたプロテストでB級ライセンスに合格しており、大晦日に地元の[[大阪府立体育会館]]で行われる[[井岡一翔]]の世界タイトルマッチの前座でデビューするした<ref>[http://www.sanspo.com/fight/news/111203/fgb1112030501000-n1.htm 京太郎、プロテスト合格/BOX] - サンケイスポーツ・2011年12月3日</ref>。なお、日本プロボクシングではリングネームを「2単語以上」と定めているため、従来の「京太郎」のリングネームが使用できないことから、ボクシングではリングネームを本名に戻している。リングネーム候補として「京太郎宝石(所属ジム名より)」「亀田京太郎(デビュー戦を[[亀田三兄弟]]の試合も中継するTBSが放送したため)」なども浮上していた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2011/10/27/kiji/K20111027001900580.html 京太郎に“待った” リングネームは亀田京太郎!?] スポニチ 2011年10月27日</ref>。デビュー戦はマイケル・オドネル(オーストラリア)相手に判定勝利。
 
== 戦績 ==