「アルジャーノン・シーモア (第7代サマセット公)」の版間の差分

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公位継承前は政治活動と軍務に専念、[[1705年]]に[[庶民院|下院]]議員に選出され[[1722年]]まで下院議員として活動、[[1709年]]に歩兵連隊隊長となってから昇進を重ね、1722年に母方の家系であるパーシー家の爵位・パーシー男爵に叙され、[[1715年]]から[[1740年]]に[[ライフガーズ|近衛騎兵第2中隊]]隊長、[[1737年]]から[[1742年]]まで[[メノルカ島]]の総督を務め、1740年から[[1742年]]まで[[ブルーズ・アンド・ロイヤルズ|ロイヤル・ホースガーズ]]隊長、[[1742年]]から1750年まで[[ガーンジー|ガーンジー島]]総督に在任、1742年から1750年までロイヤル・ホースガーズ隊長に再任された。
 
[[1713年]]にヘンリー・シン(ウェイマス子爵[[トマス・シン (初代ウェイマス子爵)|トマス・シン]]の息子)の娘フランシスと結婚、ジョージ(1725年 - 1744年)と[[エリザベス・パーシー|エリザベス]](1730(1716年 - 1776年)とジョージ(1725年 - 1744年)を儲けたが、[[1744年]]にジョージが急死すると継承者がいなくなり、将来の領土相続が危うくなっていった。[[1748年]]に父が亡くなり公位を継承した時は高齢であり、シーモア家から男子の相続人を探し出し、同時に広大な領土の分割相続を模索するようになった。
 
[[1749年]]に母方の祖父の死後消滅していたノーサンバランド伯位を創設して自ら叙爵、娘エリザベスの夫である[[ヒュー・パーシー (初代ノーサンバランド公)|ヒュー・スミッソン]]を後継者に選び出しパーシー家から受け継がれたノーサンバランド伯の所領を譲ることにした。イグリモント伯位・コッカマス男爵位も新設、妹キャサリンが産んだ甥の[[チャールズ・ウィンダム (第2代イグリモント伯)|チャールズ・ウィンダム]]に相続させるよう取り計らい、サマセット公位は遠縁の[[エドワード・シーモア (第8代サマセット公)|エドワード・シーモア]]に継承させることにした。こうして相続問題に対処した末、1750年に65歳で亡くなった。