「百済王氏」の版間の差分

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本姓は「百済王」。
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[[平安時代]]初期には、[[桓武天皇]]の母([[高野新笠]])が百済系渡来氏族の和氏出身であったため[[天皇]]の[[外戚]]とみなされ<ref>「百済王等者朕之外戚也。」『続日本紀』延暦9年2月27日条</ref>厚遇を受けた。一族の娘を[[桓武天皇]]・[[嵯峨天皇]]らの[[後宮]]の[[宮人]]とし、天皇と私的なつながりを結んで繁栄を得た。本貫地[[河内国]]交野への天皇遊猟の記事は桓武朝以降、国史に多数見られる。
 
[[百済王神社]]の[[神主]]家である[[三松氏]]は百済王氏の後裔を称した。
 
{{要出典範囲|なお、俊哲が坂上田村麻呂の副将軍として日高見国へ遠征したことから、百済王氏の一部かその縁者が[[北上盆地]]に定住し、[[岩手県]]南部各地に現在でも百済姓を名乗る者が散見される。全体としては近畿から福岡にかけての瀬戸内海沿岸に多い。|date=2010年4月}}