「栃東知頼」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
20行目:
現役時代から雄弁な理論家で知られ立会前の作戦から相撲展開まで取組直後でも沈着に応答出来る数少ない力士であったという。
 
現役引退後は年寄・13代玉ノ井を襲名、師匠であった春日野部屋付き親方となり、先代からも分家独立の許可を得ていたが、長らく、部屋付親方として、後進を指導していたが、[[1990年]]、師匠の停年逝去を受け、<ref>実際には停年直前に逝去。</ref>をきっかけ正式独立、玉ノ井部屋を創設。次男・太祐が自らの部屋に入門すると、スピード出世で[[十両]]に昇進。昇進を期に自身の現役時代の四股名を継がせた。
 
協会では、[[勝負審判|審判委員]]等を歴任し、2007年1月に役員待遇(指導普及部副部長・生活指導部副部長)に昇格した。
 
[[2009年]][[9月2日]]を以て日本相撲協会を停年退職。翌9月3日付で次男の栃東大祐が年寄・14代玉ノ井を襲名、並びに玉ノ井部屋師匠を継承した。
 
停年退職後の平成24年2月22日、23日、ニッポン放送のラジオ番組「ミュージックギフト音楽地球号」の「福島ウィーク」にゲスト出演。
 
== 略歴 ==