「国家大会議」の版間の差分

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モンゴル人民共和国の[[1924年]]制定の憲法では「'''人民大会議'''」({{lang-mn|Ардын Их Хурал}})が[[ソビエト]]型の最高議決機関と規定され、議長は[[国家元首]]とされた。4000人当たり1人の代議員を選出し、任期は5年。休会中は常設機関として「人民小会議」(バガ・ホラル)が任務を代行した。
 
しかし、実際には[[牧村]]部では2000人当たり1人の代議員が選出されたのに対し、[[ウランバートル]]では1万人当たり1人の代議員が選出された。[[モンゴル民主化運動|民主化運動]]時、牧村部は[[モンゴル人民革命党]]の支持基盤であり、格差はモンゴル人民革命党の策略ではないかと言われた。
 
==民主化以降==