「リッキー・ヘンダーソン」の版間の差分

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*俊足の選手で、打力もあったが、守備はお世辞にも名手とは言いにくい([[ゴールドグラブ賞]]の獲得経験は[[1981年]]の1回のみ)。凡フライを見失ってヒットにすることもしばしばだった。また肩も弱かった。ポジションは[[左翼手|レフト]]が多かった。
[[ファイル:Rickeyhenderson2002.jpg|thumb|200px|2002年]]
*[[ニューヨーク・メッツ|メッツ]]で同僚だった[[吉井理人]]、[[ロサンゼルス・ドジャース|ドジャース]]で同僚だった[[木田優夫]]ら曰く「超メジャー級な[[陰茎|巨根]]の持ち主」。<ref>ラジオ番組・伊集院光の日曜日の秘密基地 VIPルーム2003/11/02 ゲスト:木田優夫</ref>
*メッツ時代の1999年に、プレーオフ(対[[アトランタ・ブレーブス|ブレーブス]])の試合中に、途中交代した[[ボビー・ボニーヤ]]とともに控室でトランプに興じていたのが発覚。ボニーヤは不振もあり、この一件でメッツを解雇されたが、ヘンダーソンは翌[[2000年]]もメッツと契約し、日本で開催された[[シカゴ・カブス|カブス]]との開幕戦にも出場した(ただしこのシーズン途中に[[シアトル・マリナーズ|マリナーズ]]に放出されている)。
*多くの球団を渡り歩き、しばしばフラッグ・ディール(優勝争いのための補強的なトレード)により有力球団に移籍しているが、意外にもワールドシリーズ出場は、いずれもシーズン中に移籍したアスレチックス時代の[[1989年のワールドシリーズ|1989年]]、[[1990年のワールドシリーズ|1990年]]と、ブルージェイズ時代の[[1993年のワールドシリーズ|1993年]]の3回だけである(1989年と1993年にワールドシリーズ制覇)。