「日本遺族会」の版間の差分

[[1979年]]、「国家のために父を捧げた遺児」のための記念施設の建設を政府に働きかけ始めた。厚生省は遺族会の要望を支持し、[[1985年]]7月に[[厚生大臣]]の[[私的諮問機関]]として「戦没者遺児記念館に関する懇談会」を発足させた。[[1992年]]8月には基本計画を策定し、翌93年度の政府予算に計上する過程で、「戦没者追悼平和記念館」と改称し、国会の委員会審議において公表された。
 
“[[靖国神社]]に代わる[[戦没者追悼国立施設]]の設置”には反対の立場を取っていたが、[[昭和天皇]]が靖国神社参拝を中止した理由が[[A級戦犯]]の合祀とされる[[富田メモ]]が2007年に見つかったため、分祀の検討を当時会長であった[[古賀誠]]が講演で述べた。現在の遺族会は[[靖国神社問題]]を解決する手段として戦没者追悼国立施設の設立を積極的に要求しており、[[2007年自由民主党総裁選挙]]でも、戦没者追悼国立施設の設置を発案者である[[福田康夫]]支持を表明した。[http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/kokkai/news/20070919k0000m010170000c.html]
 
[[File:九段会館・日本遺族会・外観全景.JPG|thumb|right|200px|九段会館・外観全景]]
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