「長岡山の戦い」の版間の差分

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一方、9月18日朝、藩主[[上杉茂憲]]率いる[[米沢藩]]兵を先鋒とした[[西郷隆盛]]率いる新政府軍(参謀[[黒田清隆]])が鶴岡城攻略のために出発した。9月20日に朝を迎えた。その日は、濃霧が町覆って視界不良の状態であった。桑名藩と庄内藩は朝食の最中に、新政府軍に急襲された。
 
土地勘がある庄内藩は、すぐに西北の[[長岡山]]に引き上げた。そして、桑名藩は立見鑑三郎の指揮で沼川沿いに陣を敷いたが、圧倒的な新政府軍の攻撃に損害が増加し、霧の中で唯一見える長岡山に兵を引きあげた。そして、庄内隊と桑名隊が合流して、守備戦線を築く。霧が晴れると再び猛攻が始まり防衛戦を展開するが、午後になると新政府軍に包囲される。旧幕府軍は新政府軍の包囲網を突破して、さらに西北の白岩(寒河江市白岩)方面に脱出する。ここで、左沢にいた桑名藩の神風隊が援軍に到着して、寒河江川に架かる[[臥龍橋]]をはさんで、2時間ほど銃撃戦を展開した。しかし、退路を断たれることを恐れて、[[銅山越]]の山道を通り、夜間行軍で[[肘折温泉]](最上郡大蔵村肘折)に引き上げ、庄内藩の領内に逃れた。
 
==庄内藩降伏==