「シュテファン・エバーハーター」の版間の差分

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| medaltemplates =
{{MedalCompetition|オリンピック}}
{{MedalGold|[[ソルトレクシティオリンピックにおけるアルペンスキー競技|2002]]|男子大回転}}
{{MedalSilver|[[長野オリンピックにおけるアルペンスキー競技|1998]]|男子大回転}}
{{MedalSilver|[[ソルトレクシティオリンピックにおけるアルペンスキー競技|2002]]|男子スーパー大回転}}
{{MedalBronze|[[ソルトレクシティオリンピックにおけるアルペンスキー競技|2002]]|男子滑降}}
{{MedalCompetition|[[アルペンスキー世界選手権]]}}
{{MedalGold|[[1991年アルペンスキー世界選手権|1991]]|男子スーパー大回転}}
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=== 「永遠の二番手」返上、世界の頂点へ ===
久しくマイヤーの陰に隠れ、「永遠の二番手」という印象が強くなっていたエバーハーターだったが、思わぬチャンスが訪れる。2001年8月、マイヤーがオートバイ事故で重傷を負い、翌シーズン、更には[[ソルトレクシティオリンピック]]も欠場することとなったのである。[[2002年]]シーズンのワールドカップ、エバーハーターは[[滑降]]とスーパー大回転で種目別優勝を果たす。総合成績でも2位の[[チェーティル・アンドレ・オーモット]]を600ポイント以上も引き離す圧勝で、初のワールドカップ制覇を成し遂げた。
 
マイヤーの不在、さらには回転で期待された[[マリオ・マット]]も1月の負傷で欠場したことから、ソルトレクではオーストリアのエースとして期待が集まった<ref>「エベルハルター、『永遠の2番手』返上へ - ソルトレーク冬季五輪」[[朝日新聞]]、2002年2月16日付朝刊。</ref>。最初の種目、滑降では[[銅メダル]]、続くスーパー大回転では10分の1秒差でオーモットに敗れ銀メダルに終わるも、最後の種目となった大回転で[[ボディー・ミラー]]を破り[[金メダル]]を獲得した。この時既に32歳であり、年齢的にもこの五輪がラストチャンスであったことから、「'''この金メダルは僕にとって特別な意味がある'''」とコメントした<ref>「エベルハルター遅咲きV」朝日新聞、2002年2月23日付朝刊。</ref>。
 
[[2003年]]シーズンもワールドカップで総合優勝し、滑降とスーパー大回転でも種目別優勝を果たした。同年の世界選手権([[サンモリッツ]])でもスーパー大回転で金メダルを獲得するなど選手としての絶頂を迎えていたが、この時エバーハーターは翌[[2004年]]シーズンでの引退を決意していたと言われている。