「ソフィ・マリノヴァ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
29行目:
 
17歳のときに地元の民族楽団に加わって以来、音楽の道を歩んできた。その後[[ターボ・フォーク]]のプロデューサ・[[ペトル・アントノフ]]({{lang|bg|Петър Антонов / Petar Antonov}})に見出され、1997年にブルガリアの民謡やターボ・フォークを取り扱う大手レコード会社である[[アラ (レコード会社)|アラ]]と契約、[[ターボ・フォーク]]歌手として2004年まで同社の契約の下で活動する。2004年に[[サニー・ミュージック]]と契約、[[スラヴィ・トリフォノフ]]や[[ウスタタ]]、[[アジス]]などとも共演する。
 
== ユーロビジョン・ソング・コンテスト ==
ソフィ・マリノヴァは複数回にわたってユーロビジョン・ソング・コンテストの[[ブルガリアのユーロビジョン・ソング・コンテスト|ブルガリア代表]]を目指し、国内予選に挑んできた。
 
ブルガリアが初めて[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト]]に参加した[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2005|2005年大会]]の[[ブルガリアのユーロビジョン・ソング・コンテスト|ブルガリア代表]]を目指し、[[スラヴィ・トリフォノフ]]とのデュエットで国内予選に参加したものの[[カッフェ]]に敗れ2位となった。[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2006|2006年大会]]でもトリフォノフと組んで国内予選に挑むが3位に終わる。[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2007|2007年大会]]ではラッパーの[[ウスタタ]]と組んで国内予選に参加するが、[[エリツァ・トドロヴァ]]&[[ストヤン・ヤンクロフ]]に敗れ、またしても2位に終わる。[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2011|2011年大会]]でも国内予選に参加するがブルガリア代表の座を勝ち取ることはできなかった。
 
2012年2月29日に行われた[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2012]]のブルガリア国内予選の決勝では、[[デシ・スラヴァ]]などの競合歌手を下し、念願のブルガリア代表の地位を手にした<ref name="bg2012-0229">{{cite web|url=http://www.esctoday.com/news/read/18438|title=Tonight: National final in Bulgaria|date=2012-2-29|accessdate=2012-3-1|publisher=ESCToday|author=Victor Hondal}}</ref>。ユーロビジョン・ソング・コンテスト2012本戦は、同年5月に[[アゼルバイジャン]]の[[バクー]]で開催される。
 
== アルバム ==
43 ⟶ 50行目:
* VIPat(2009年)
 
== 関連項目脚注 ==
{{Reflist}}
* [[ロマ音楽]]
 
{{Singer-stub}}