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[[1970年代]]後半から、他のアーティストへの曲の提供を始めた山下は、[[シュガー・ベイブ]]時代のプロデューサーであった[[大瀧詠一]]の[[ナイアガラ・レーベル]]初期の作品に、コーラスアレンジ及びストリングスアレンジで参加しており、特に『[[NIAGARA CALENDAR]]([[1977年|1977]])』で深く関わっている。また、[[近藤真彦]]の「ハイティーン・ブギ」(1982)、[[KinKi Kids]]のデビュー・シングル「[[硝子の少年]]」(1997)や「[[ジェットコースター・ロマンス]]」(1998)などヒット曲を出している。
 
現在も交流が続いている大瀧同様、レコード・CDコレクター、オーディオマニアであり、特に1950年代から70年代にかけてのロック・R&B・ポップスに関して非常に造詣が深い。またメジャーレーベルから発売されてもヒットしなかったマイナーな楽曲、インディーレーベルから発売された楽曲に至るまでその知識は豊富で、オリジナルのアナログ盤を中心に収集しており、所有している総数は6万枚を超える。また、ソングライターマニアで、下述する『[[山下達郎のサンデーソングブック]]』では、アーティスト別の特集とともにソングライター別(例:「[[:en:Barry Mann|バリー・マン]]特集」、「[[キャロル・キング]]特集」)の特集が組まれ、番組内では定番化している。
 
== 経歴 ==