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'''平島 義寛'''(ひらしま よしひろ[[寛政]]9年([[1797年]]) - [[文政]]11年8月19日<ref>阿南市立阿波公方・歴史民俗資料館蔵 足利家系譜</ref>)は、[[江戸時代]]後期の[[阿波国]][[徳島藩]]士。[[幼名]]は利丸。[[通称]]は左衛門。父は[[平島公方]][[足利義根]]。母は[[半家]][[公家]]の西洞院風月入道の養女(実は貝塚氏)。弟は[[足利義俊]]。妻は不詳。子は芳丸。
 
平島にて出生する。父は京都の文人と交流が多く何かと物入りのため、[[文化 (元号)|文化]]2年([[1805年]])に藩主[[蜂須賀治昭]]に加増願いを出したが断られたことなどから、京都に移り足利氏に復した。「[[系図纂要]]」では、義寛については父と同行したかについてや、本人及び子の没年については触れていない。