「アメリカ合衆国の独立」の版間の差分

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[[ジョン・ロック]]の[[自由主義]]的考え方は独立革命の政治的根拠に大きな影響を及ぼした。例えば、ロックの「[[社会契約]]論」は、国の指導者がイギリス人の歴史有る権利を踏みにじった場合には、人々は指導者を打倒する自然の権利があるとしていた。歴史家によっては、アメリカにおける[[ジャン=ジャック・ルソー]]の影響を見出す者もいる<ref> Charles W. Toth, ''Liberte, Egalite, Fraternite: The American Revolution & the European Response.'' (1989) p. 26. </ref>。州や国家の憲法を書くときに、アメリカ人は[[シャルル・ド・モンテスキュー|モンテスキュー]]の[[イギリスの憲法]]に関する理想的にバランスされているという分析を用いた。
 
独立革命を推進した力は「[[共和主義]]」と呼ばれる政治理論をアメリカ人が持っていたことであり、1775年の植民地で圧倒的な力を持った。イギリスの「土地に根差した党派」は政治腐敗を恐れることを強調してイギリス政府を批判していたが、アメリカの政治家にも影響を与えた。植民地人は奢侈で世襲される貴族階級の「政府」に慣れていたが、これを徐々に非難するようになった。政治腐敗が考えられる最大の悪であり、市民の美徳は個人的な欲望よりも公的な義務を前面に押し出すために要求された。男は国のために戦う公的な義務があった。女性には「共和制の母」であることが理想となり、アビゲイル・アダムズやマーシー・オーティス・ウォーレンによって実行された。共和制の女性の最初の義務は子供達に共和制の価値観を教えることであり、贅沢や見栄を避けることであった。[[アメリカ合衆国建国の父]]と呼ばれるサミュエル・アダムズ、パトリック・ヘンリー、[[トマス・ペイン]]、ベンジャミン・フランクリン、[[ジョージ・ワシントン]]、[[トーマス・ジェファーソン]]およびジョン・アダムズは共和主義の強い主唱者であった<ref> Greene & Pole (1994) ch 9</ref>。
 
=== 西部の土地紛争 ===
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