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Kinori (会話 | 投稿記録)
→‎補任の記録: 『国司補任』の成立事情は異なる
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[[律令制]]においては、翌年の除目の参考資料とするために人事担当[[官司]]である[[中務省]]・式部省・兵部省・[[治部省]]などが毎年2回定期的に人事録を作成していた。これを'''補任帳'''(ぶにんちょう)と呼ぶ。[[女官]]については中務省が、内外官司と五位以上、[[令制国]]の史生以下の[[国衙]]職員及び[[郡司]]については式部省(ただし、郡司については年1回)、武官については兵部省、僧侶について治部省(ただし年1回)作成され、[[6月20日]]・[[12月20日]]に天皇に見せるために事前に[[蔵人所]]に提出(「内裏分」の後、[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]・[[7月1日 (旧暦)|7月1日]]に太政官に対して正式な提出が行われた。補任帳は補任者の官位姓名及び任官日時が記載され、その年のうちに死去・異動によって職を離れた者は朱筆で訂正が加えられ、また考課や犯罪を理由とした解官の場合には帳簿自体から抹消された。
 
また、これとは別に官職補任の記録を年表形式でまとめて後日の参考にすることが行われ、公家では『[[公卿補任]]』・『[[国司補任]]』・『[[蔵人補任]]』・『[[弁官補任]]』・『[[歴名土代]]』など、武家では『[[将軍執権次第]]』・『[[関東評定衆伝]]』・『[[柳営補任]]』、寺院では『[[東大寺別当次第]]』・『[[興福寺別当次第]]』・『[[天台座主記]]』・『[[東寺長者補任]]』などが知られている。
 
== 参考文献 ==