「アーチボルド・コックス」の版間の差分

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m ラッケルズハウスの当時の役職は、司法次官(Associate Attorney General)ではなく副長官(Deputy Attorney General)なので、この点について主に修正。
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[[画像:ArchibaldCox.jpg|thumb|アーチボルド・コックス]]
'''アーチボルド・コックス・ジュニア'''(Archibald Cox, Jr., [[1912年]][[5月12日]] - [[2004年]][[5月29日]])は、[[ジョン・F・ケネディ]][[大統領]]の下の司法次[[訟務長]]を務めて、[[ウォーターゲート事件]]の[[特別検察官]]だった、[[アメリカ合衆国]]の法律家(前職はハーバード大学法学部教授[[スコット・トゥロー]]の処女作「ハーバード・ロー・スクール」に登場する)
 
[[ハーバード]]大学、[[ハーバード・ロースクール]]を卒業後、連邦[[控訴裁判所]]の[[ハンド]]裁判官の[[調査官]]を務めた。その後ハーバード大学法学部教授となり、[[憲法]]、[[労働法]]などを教授した([[スコット・トゥロー]]の処女作「ハーバード・ロー・スクール」に登場する)。
「[[土曜日の夜の虐殺]]」と名付けられた1973年10月20日に、[[リチャード・ニクソン]]大統領は、ウォーターゲート事件特別検察官のコックスを解任するように命じた。司法長官[[エリオット・リチャードソン]]および司法副長官[[ウィリアム・D・ラッケルズハウス]]の両人はこの命令を拒否して辞職した。命令は後任の司法次官[[ロバート・ボーク]]によって行なわれた。
 
「[[土曜日の夜の虐殺]]」と名付けられた1973年10月20日に、[[リチャード・ニクソン]]大統領は、ウォーターゲート事件特別検察官のコックスを解任するように命じた。司法長官[[エリオット・リチャードソン]]および司法副長官[[ウィリアム・D・ラッケルズハウス]]の両人はこの命令を拒否して辞職した。命令は後任の司法次訟務長官[[ロバート・ボーク]]によって行なわれた。
 
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