「吉田隆司」の版間の差分

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Okashun (会話 | 投稿記録)
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[[2010年]]2月7日、DRAGON GATE公式サイトにて「本人の今後の状況を踏まえたうえで再契約を考慮する運び」と発表される。
 
[[2011年]]に望月成晃にBW対抗ユニットに誘われ加入するが、最初のシフトチェンジでDRAGAN KIDと入れ替わりでBWに加入。さらに吉野正人が発案した「なにわ式イリミネーションマッチ」のタイトルをかけた「ノンブレ・コントラ・ノンブレ ~ なにわ式イリミネーションマッチ ~」(ノンブレの意味は言葉)で勝利し、タイトルを「吉田式イリミネーションマッチ」にし、先攻後攻を決める方法を腕相撲にした。
 
8月21日、博多スターレーンで望月成晃の持つ[[オープン・ザ・ドリームゲート王座]]に挑戦するが、敗北。
 
10月16日、大阪府立体育会館・第一競技場で行われた「マスカラ・コントラ・カベジェラ 金網サバイバル6WAYマッチ」で初の金網に挑戦し、40分を超える死闘の末、最後に脱出。最後に残った[[YAMATO (プロレスラー)|YAMATO]]を丸坊主にした。しかし、11月4日、後楽園ホールで行われた「Blood Warriors vs JUNCTION THREE 八木パン・サバイバル 敗者ユニット脱落マッチ」で[[YAMATO (プロレスラー)|YAMATO]]のスリーパーホールドにギブアップ。BWから追放され、スランプ状態に。
 
12月25日、福岡国際センターで[[佐々木健介]]と二度目のシングルマッチを行ったが敗れた。
 
2012年、望月成晃に「僕にプロレスを教えてください」と懇願する。望月はこれを承諾し共闘へと移っていくが、1月19日、後楽園ホールで行われた「Bloodwarriors vs JUNCTION
THREE 敗者ユニット脱落マッチ」で裏切りBWに電撃加入。この時CIMAを裏切り追放した。
 
== タイトル歴 ==