「島本亮」の版間の差分

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「累積3点の降級点取得者に限定~」の記述を削除。詳細はノートに。
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第16回[[小学生名人戦]]で全国大会進出。2回戦で後に同じくプロとなる[[村田智弘]](本大会で3位)に敗れる。同年、ジュニア将棋選手権近畿大会・小学生の部にも出場し、村田を破り3位。1993年には第14回中学選抜将棋大会で3位となり、同年9月に[[新進棋士奨励会|奨励会]]に6級で入会。
 
2000年度前期より奨励会三段リーグに参加。大混戦となった2002年度後期三段リーグで、12勝6敗(うち1勝は不戦勝)という成績でありながら1位となり、四段昇段を果たした<ref>[http://www.shogi.or.jp/kisen/shourei/sandan/32/index.html 第32期奨励会三段リーグ]</ref>。それまでの過去5期では全て7勝11敗以下の成績だった。であり、特に3期目の平成13年前期リーグでは4勝14敗で降段点を喫している。このため、三段リーグでの通算成績は41勝67敗・勝率3割8分というであり、四段昇段者としては史上最も低い勝率であった。
 
初参戦の第62期(2003年度)C級2組[[順位戦]]で初戦から5連敗し、3勝7敗で早々に[[順位戦#降級点|降級点]]を喫する。その後第63期(2004年度)は自己最高で順位戦唯一の勝ち越しとなる7勝3敗の成績を挙げ、第68期(2009年度)までは降級点を回避したが、第69期・第70期(2010~2011年度)は共に2勝8敗と振るわず連続で降級点を喫して累積3点となり、初参加から9年<ref>累積3点の降級点取得者に限定すると、[[熊坂学]](3年、制度上最短)・[[藤倉勇樹]](7年)・[[本間博]](7年)に続き、[[中尾敏之]]と並ぶ4番目の早さ。</ref>・31歳の若さ<ref>累積3点の降級点取得者に限定すると、熊坂(陥落当時27歳)・藤倉(当時30歳)に続く3番目の若さ。</ref>で順位戦への参加資格を失い[[フリークラス]]に陥落してしま、順位戦への参加資格を失った。
 
[[竜王戦]]では、第19期(2006年度)6組において昇級者決定戦を勝ち抜き5組に昇級。このとき破った相手の中には[[広瀬章人]]もいる。しかし翌期にランキング戦第1回戦・昇級者決定戦第1回戦・残留決定戦と連敗し、1期で6組に戻る。
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[[2011年]][[7月12日]]、第70期C級2組順位戦2回戦で通算100勝を挙げ、31歳で五段に到達。対局相手は前述の村田智弘であった。
 
棋戦本戦への初出場は第37期(2011年度)[[棋王戦]]において、予選で[[澤田真吾]]・[[村山慈明]]らを破り、棋戦本戦への初出場を果たす本戦では初戦(2回戦)で[[鈴木大介]]と対戦し、鈴木の十八番である[[ゴキゲン中飛車]]を[[居飛車]]で受けて立つも、善戦及ばず敗退した。
 
==棋風==