「パシフィック・レーシング」の版間の差分

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レースドライバーは[[ベルトラン・ガショー]]と[[ポール・ベルモンド]]、テストドライバーに[[オリバー・ギャビン]]。シャシーは1991年に[[レイナード]]がF1参戦を狙った際に[[ロリー・バーン]]と[[パット・シモンズ]]が設計したものに[[ポール・ブラウン (F1)|ポール・ブラウン]]が改良を施したものをPR01とし、[[イルモア]]の型落ちエンジンを搭載した。
 
当時はまだ珍しいほうの部類だった[[ベネトン・フォーミュラ|ベネトン]]型の、フロントウイングを吊り下げるノーズを持つ特徴的なマシンではあったが、3年前の設計のシャシーとイルモアの型落ちエンジンのマシンは競争力に欠け、2台そろって決勝に出場したのは[[カール・ヴェンドリンガー]]のクラッシュで[[ザウバー]]が欠場した[[モナコグランプリ|モナコGP]]と[[シムテック]]の[[アンドレア・モンテルミニ]]がクラッシュした[[スペイングランプリ|スペインGP]]のみだった。ベルモンドが予選を通過したのはこの2回だけ、ガショーも決勝進出は5回だけだった。第7戦[[フランスグランプリ|フランスGP]]以降は、資金難でマシン開発が停止した影響で2台とも予選通過できず、結局完走は無しに終わった。
 
[[1994年]]は重大事故が相次いだため、シーズン中にも次々とレギュレーション変更が実行され、元々準備不足であるチームをさらに苦しめた。特に第4戦[[スペイングランプリ|スペインGP]]では、[[ディフューザー (自動車)|ディフューザー]]のサイズ縮小、フロントウィングの最低地上高変更、[[ボーテックスジェネレーター]]の禁止などがレースウィークに急遽決まるなど、チームはピットでの改修作業を余儀なくされた。