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'''フランス領アファル・イッサ'''(''{{lang-fr|Côte des Affars et Issas''}})は、[[1967年]]、[[東アフリカ]]のフランス領ソマリランドが改称して名づけられた[[フランス]]の[[海外県]]の名称。[[1977年]]にフランスから[[ジブチ共和国]]として独立した。アファル・イッサの名称は[[アファル族]]と[[イッサ族]]、2つの部族の名称を併記したものである。
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'''フランス領アファル・イッサ'''(''Côte des Affars et Issas'')は、[[1967年]]、[[東アフリカ]]のフランス領ソマリランドが改称して名づけられた[[フランス]]の[[海外県]]の名称。[[1977年]]にフランスから[[ジブチ共和国]]として独立した。アファル・イッサの名称は[[アファル族]]と[[イッサ族]]、2つの部族の名称を併記したものである。
==歴史==
[[19世紀]]後半に[[フランス領ソマリランド]]として[[フランス植民地帝国|フランス植民地]]となった地域についは[[第二次世界大戦]]後、フランスの[[海外県]]となり[[1967年]]には住民投票によって引き続きフランス領であることを選択したあと、[[フランス領アファル・イッサ]]と改称された。その改称後、議会選挙でアファル族の[[進歩党 (ジブチ)|進歩党]]が圧勝。また、イッサ族を基盤とする[[独立アフリカ人民同盟も勢力をのばし]]と共に独立を要求した。その結果、仏領アファールイッサは[[1977年]]、ジブチ共和国として独立した
[[19世紀]]後半、[[フランス]]は[[スエズ運河]]の建設が始まると[[タジュラ湾]]のオボック港を租借、周辺に勢力を拡大し[[フランス領ソマリランド]]として植民地化した。また、タジュラ湾岸に港町[[ジブチ市|ジブチ]]を開き、[[エチオピア]]の[[アディスアベバ]]と結ぶ鉄道(現在の[[ジブチ・エチオピア鉄道]])が建設されると[[ジブチ港]]の重要性は高まった。
 
[[第二次世界大戦]]後、[[アフリカ]]諸国の[[独立]]がすすんだが、フランス領ソマリランドにはソマリア系の[[イッサ族]]とエチオピア系の[[アファル族]]の対立があり、独立問題は複雑でフランスの海外県にとどまっていた。
 
[[1967年]]、住民投票によって引き続きフランス領であることを選択したあと、[[フランス領アファル・イッサ]]と改称された。その後、議会選挙でアファル族の進歩党が圧勝。また、イッサ族を基盤とする独立アフリカ人民同盟も勢力をのばし独立を要求。
 
その結果、[[1977年]]、ジブチ共和国として独立し、イッサ族出身の[[ハッサン・グレド・アプティドン|グレド]]が大統領に就任した。
==関連項目==
*[[アフリカの角]]