「ディエゴ・アラトリステ・イ・テノーリオ」の版間の差分

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1582年頃、[[スペイン]]の[[レオン地方]]([[:es:Región de León|Región de León]])、現在の[[カスティーリャ・イ・レオン州]]、[[レオン (スペイン)|レオン]]に生まれる<ref>各言語版の単行本6巻5章参照のこと</ref>。
 
郷士の次男として生まれたディエゴは13歳の時に家を出ると、年齢を偽って[[傭兵]]となり、オーストリア大公[[アルブレヒト・フォン・エスターライヒ (1559-1621)|アルブレヒト7世]]に従って[[南ネーデルラント|ネーデルラント]]に赴いたとされる。1609年、[[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]で[[イスラム教徒]]の反乱鎮圧に参加した後、[[ナポリ]]に渡ってナポリ駐留スペイン艦隊の陸戦海兵兵士となる。1613年には[[コンスタンティノポリス]]で乗り込んでいた[[ガレー船]]が拿捕され、[[オスマン帝国]]軍の捕虜となるが、同年のうちに解放され、1615年まで引き続きスペイン艦隊に参加する。この間、[[ケルケーナ諸島]]でオスマン帝国軍と戦った際、後に彼の庇護者となるグアダルメディーナ伯爵家の跡取り息子、アルバロ・デ・ラ・マルカの命を救う。
 
1615年にナポリで痴話喧嘩から傷害事件を引き起こし、スペイン本国に逃亡。しばらくの間セビージャの大聖堂に潜伏し、暗殺代行で糊口を凌ぐ。この時、[[セビージャ]]の裏社会に人脈を広げる。