== 略歴 ==
1943年、 東京生まれ 早稲田大学文学部中退 俳優座養成所を修了。
1965年 早稲田大学文学部中退 劇団俳優座付属演劇研究所俳優座養成所を修了(14期)
1966年に アンダーグラウンドシアター自由劇場を創立
19711968年には 演劇センター68/71(現、劇団黒テント)設立に加わり、1970年からは大型のテント劇場の中心的な演出家、劇作家として、1990年までの20年間、日本全国120都市におよぶ上演活動を中心に、常に日本の現代演劇界をリードしてきた。
同時に、独特な幻想的文体によって社会や歴史を批評する戯曲執筆や、多数の現代演劇の演出を手がけている。
初期の代表作『喜劇昭和の世界 三部作』(1973年~79年)をはじめ、独特な幻想的文体によって社会や歴史を批評する戯曲執筆や、多数の現代演劇の演出を手がけ、あわせてルイジ・ルナーリ(伊)、ベルナール=マリ・コルテス(仏)、郭宝昆(シンガポール)など、すぐれた劇作家作品の日本初演をおこなうなど、個性的な上演活動によって知られている。
音楽、舞踊、伝統芸能など多様な分野の知己も多く、その要請を受けて、現代舞踊、人形芝居、能等、多彩な分野の舞台を演出を務めてきた。
演劇作品の他、音楽、舞踊、能、現代舞踊、人形芝居、レビューなど、多彩な分野の演出に取り組む。
舞台作品づくりとともに、「アジア 演劇」「演劇ワークショップ」「 新しい演劇の公共 劇場性」「演劇と教育」など、 つね常に時代を一歩リードする積極的な発言 を行と実践活動への評価が高い 、劇場や演劇のあり方に影響を与えてきた。 ▼
特に、オペラの演出家としては、日本を代表するオペラ演出家の一人として ▼
==オペラ演出==
オペラ演出家栗山昌良に師事。
▲特バッハ『コーヒー・カンタータ』に 、よるオペラ の演出 家としてはデビュー(1973年)以来、日本を代表するオペラ演出家の一人として
1981年 ヤナーチェク「カーチャ・カヴァノバ」演出(日本初演)
012001年 二期会創立50周年記念公演オッフェンバック『ホフマン物語』、
032003年 日生劇場開場40年周年記念特別公演ベルク『ルル』(3幕版日本初演)
など、主要団体にとって節目となる記念公演や日本初演を任される信頼を得ている。
オペラ演出 k代表作としては、
他に
85年ベルク『ヴォツェック』(二期会)
88年ドビュッシー『ペアレスとメリザンド』(二期会)
2000年三善晃『遠い帆』などがある
==受賞歴==
691969年「『おんな殺し あぶらの地獄」で』 第4回紀伊国屋演劇賞(個人賞)
711971年「『鼠小僧次郎吉」で』 第16回岸田戯曲賞
911991年「『まほうのふえ 魔笛」で』など 第10回中島健蔵音楽賞
032003年「『ルル」で』 日本ペンクラブ賞を受賞
==劇場開設==
民間、公共劇場開設に おついて は、劇場空間と制作現場の最前線を知る実務専門家として30年以上に渡り活躍しており、銀座博品館劇場、85年スパイラルホールの初代芸術監 督に、89年オープンの [[東急文化村 ]]・オーチャードホール初代プロデューサーの一人に就任している。 ▼
▲舞台作品づくりとともに、「アジア」「演劇ワークショップ」「新しい公共劇場」「演劇と教育」など、つねに時代を一歩リードする積極的な発言を行い、劇場や演劇のあり方に影響を与えてきた。
特に、公共ホールとまちづくりに関しては、いわき芸術文化交流館をはじめとする多数の公共ホール開設に携わるとともに、 97年からは[[世田谷パブリックシアター ]]初代芸術監督 (1997年→2002年)、 08年からは[[座・高円寺 (]](杉並区立杉並芸術会館)初代芸術監督 (2009年~)に就任し、 施設の開 場館前から住民のためのワークショップを 行ったり開催し、 開館後も地 元域商店街との連携 によるした大道芸フェスティバル の実施等を立ち上げるなど、現在各地で行われるようになった 新しい公共ホールの あたらしい活動 領域への取組みをいち早く 試み実践している。 ▼
▲劇場開設においては、劇場空間と制作現場の最前線を知る実務専門家として30年以上に渡り活躍しており、銀座博品館劇場、85年スパイラルホールの初代芸術監督に、89年オープンの東急文化村・オーチャードホール初代プロデューサーの一人に就任している。
==教育==
▲特に、公共ホールとまちづくりに関しては、いわき芸術文化交流館をはじめとする多数の公共ホール開設に携わるとともに、97年からは世田谷パブリックシアター初代芸術監督、08年からは座・高円寺(杉並芸術会館)初代芸術監督に就任し、開場前から住民のためのワークショップを行ったり、地元商店街との連携による大道芸フェスティバルの実施等、現在各地で行われるようになった新しい公共ホールの活動をいち早く試みている。
教育面でも、国内だけでなく、アジア各地でのワークショップ を開催してきた実践のほか、1998年から2009年まで、東京学芸大学教授として、演劇と教育 、演劇ワークショップについての研究や、後進の育成に取り組んできた。また、座・高円寺では、明日の公共劇場の担い手を育てる、 「劇場創造アカデミー 」(二年制)を創設し、 現在3期生が学全国の公共劇場、および つつあ立教大学などの教育機関と連携した専門家教育に取り組んでいる 。▼
==海外交流==
▲教育面でも、国内だけでなく、アジア各地でのワークショップを開催してきたほか、1998年から2009年まで、東京学芸大学教授として、演劇と教育についての研究や、後進の育成に取り組んできた。また、座・高円寺では、明日の公共劇場の担い手を育てる、劇場創造アカデミー(二年制)を創設し、現在3期生が学びつつある
海外との交流においても、201980年以上前代初頭から積極的に取り組んできた、先駆者の一人でありとして、香港、インドネシア、マレーシア、タイ、フィリピンなど、東南アジア各を中心を中心とする近隣諸国の演劇人との交流や作品制作創造、ヨーロッパ各国の演劇祭での作品上演および共同制作作業にも意欲的に取り組んでおり、いる。
日印国交樹立50周年記念プログラムダンス01公演 『ダンス東風III 舟もなく』の演出
日中合作オペラ「魔笛 まほうのふえ」(89年東京公演、91年北京公演)のプロデューサー、演出などを務めた。
20102010年に開催された上海万博日本政府館においては、日本館の万博出展メイン展示史上初となる、ライブショーの総合演出を委ねられ、出演者に地元中国・南京の昆劇俳優達と子供たちを起用し、香港の演出家ダニー・ユンとの共同作業により生み出されたその作品は、各国の来賓をはじめ来場者の評判となり、1日38回、180日間のステージは連日賑わった
20002000年 世田谷パブリックシアター サミュエル・ベケット 「『ゴドーを待ちながら 」』美術・演出▼
現在、座・高円寺(区立杉並芸術会館)芸術監督、個人劇団「鴎座」主宰、
20052005年 黒テント ベルナール ・=マリ・コルテス 「『ロベルト・ズッコ 」』演出▼
20062006年 鴎座 ハイナ・ミューラー 「『ハムレット/マシーン 」』美術・演出 ▼
20082008年 あうるすぽっと ウジェーヌ・イヨネスコ 「『瀕死の王 」』美術・演出 ▼
▲2000年 世田谷パブリックシアター サミュエル・ベケット「ゴドーを待ちながら」
▲2005年 黒テント ベルナール・マリ・コルテス「ロベルト・ズッコ」
▲2006年 鴎座 ハイナ・ミューラー「ハムレット/マシーン」演出
▲2008年 あうるすぽっと ウジェーヌ・イヨネスコ「瀕死の王」演出
鴎座 ゲオルグ・ビューヒナー「ダントンの死について」演出
20092009年 びわ湖ホール アルバン・ベルク オペラ「『ルル」』美術・演出
20102010年 座・高円寺 齊藤憐台本「アメリカン・ラプソディ」美術・演出
2011年 座・高円寺 宮沢賢治原作「ふたごの星」脚本・演出
鴎座 郭宝昆『The Spirits Play 霊戯』 構成・演出・美術
==映像作品==
1983年には [[YMO]]([[イエロー・マジック・オーケストラ]])散開ライブの演出を、また、 1984年には散開ライブ映像を中心とした映画 『[[A Y.M.O. FILM PROPAGANDA|プロパガンダ]]』の脚本・監督をつとめた。
1997年から2002年まで[[世田谷パブリックシアター]][[芸術監督]]を務めた。
現在、[[劇団黒テント]]演出部。個人劇団[[鴎座]]主宰。[[座・高円寺]](杉並区立杉並芸術会館)][[芸術監督]](2007年~)。
== 著書 ==
*『眼球しゃぶり』
*『夜と夜の夜』
*『学校という劇場から』(編)
==現在==
個人劇団「鴎座」主宰
[[座・高円寺]]芸術監督
== 外部リンク ==
*[http://kamomeza.net/ 鴎座公式サイト]
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