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[[1950年代]]から[[1970年代]]にかけてのアメリカン[[ポピュラー音楽|ポップス]]・[[ロック (音楽)|ロック]]に影響を受けた、良質な楽曲を制作し続ける[[音楽家|ミュージシャン]]である。また、日本におけるア・カペラ、[[ドゥーワップ]]のオーソリティの一人であり、自分自身のヴォーカルを多重録音する“1人ア・カペラ”という手法を用いることでも知られている。
 
音楽作りに対して非常に厳格で、独自の制作姿勢から「職人」とも称される。レコーディングの際には、ボーカル・バックコーラスはもちろん、編曲から[[ギター]]、コンピューターの打ち込み、[[シンセサイザー]]、[[パーカッション]]まで1人で手掛けている。[[マルチプレイヤー (音楽)|すべての演奏を一人で行っている]]楽曲もあり、ギタープレイ、特に独特なタイム感の[[16ビート]]カッティングも得意とする<ref>自身の提供曲や[[村田和人]]、[[竹内まりや]]などのプロデュース作品、[[松任谷由美]]の'70~'80年代初期の作品、坂本龍一の4作目のソロアルバム『[[音楽図鑑]]』(1984)や[[T-SQUARE]]のリーダー、[[安藤まさひろ]]の2作目のソロアルバム『Melody Go Around』(1990)など、コーラスワークだけでなく、ギタリスト、その他演奏者として参加している作品も少なくない。ちなみに好きなギタリストとして、[[スティーヴ・クロッパー]]を挙げており、メインに使用しているギターは当然[[フェンダー・テレキャスター]]である。</ref>。こうした背景に加え、自身の作品と妻であるシンガーソングライター、[[竹内まりや]]の作品を交互に制作していることもあり、活動期間に比べると寡作の傾向がある。
 
[[1970年代]]後半から、他のアーティストへの曲の提供を始めた山下は、[[シュガー・ベイブ]]時代のプロデューサーであった[[大瀧詠一]]の[[ナイアガラ・レーベル]]初期の作品に、コーラスアレンジ及びストリングスアレンジで参加しており、特に『[[NIAGARA CALENDAR]]([[1977年|1977]])』で深く関わっている。また、[[近藤真彦]]の「ハイティーン・ブギ」(1982)、[[KinKi Kids]]のデビュー・シングル「[[硝子の少年]]」(1997)や「[[ジェットコースター・ロマンス]]」(1998)などヒット曲を出している。