削除された内容 追加された内容
124.255.0.170 (会話) による ID:38898164 の版を取り消し
38行目:
韓遂は、[[閻行]]に叛かれるなどその勢力を弱め、益州の[[蜀]](当時、[[劉備]]が支配)に逃げようかと配下の[[成公英]]に漏らしたが、成公英は抗戦を主張し、韓遂もこれに従った(魏志「張既伝」が引く『典略』、及び『魏略』)。
 
[[215年]]、曹操は漢中の張魯を討つために親征してきた。西平・金城に割拠する[[麹演]]・蒋石は協力して韓遂を殺害し、首を曹操に送ったという。70余歳だった(「武帝紀」が引く『典略』)。
 
晩年の韓遂については異説があり、夏侯淵に敗れた後に西平の[[郭憲]]に庇護されていたが、病死した後にその首を斬り落として曹操への手土産にした者達がいたという(魏志「王修伝」が引く『魏略』「純固伝」)。