「グプタ朝」の版間の差分

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[[チャンドラグプタ2世]](位376年頃 - 415年頃)のとき、北西インドの[[マールワ]]と[[グジャラート]]に在った[[西クシャトラパ]]を征服して、ついに[[北インド]]を統一し、全盛期を迎えた。また、[[デカン高原|デカン]]の[[ヴァーカータカ朝]]の王ルドラセーナ2世に娘を嫁がせて姻戚関係を結び、南インドにおける勢力を増大させた。この時期、[[東晋]]の僧、[[法顕]]が訪れている。なお、この頃、[[ヒンドゥー教]]が台頭し、[[仏教]]文化は衰退を始めた。
 
第4代[[クマーラグプタ1世]](位415年頃 - 455年)の治世は、[[玄奘]]や[[義浄]]も学ぶことになる[[ナーランダ大学|ナーランダ僧院]]が設立されたことで知られるが、その治世の末期には遊牧民[[エフタル]]の侵入によって北西部の支配が動揺をはじめる。その子、[[スカンダグプタ]](位455年 - 467年)は、皇太子プルグプタに打ち勝って王位を獲得、インド北西部領域の支配につとめ、かっての栄光を一時的に回復した。
 
しかし、その後は小地域の支配者層が力を強め、グプタ朝の宗主権はいまだ広い範囲で認められていたものの、支配は徐々に名目的なものとなっていった。さらに6世紀初頭にはエフタルが再進攻を行い、最終的に撃退には成功したものの国力は決定的に衰えて従属王朝が相次いで独立し[[北インド]]は分裂状態となった。[[6世紀]]のグプタ朝の版図は[[ベンガル地方|ベンガル]]と[[ビハール州|ビハール]]に限られるようになり、[[550年]]頃に滅亡したと考えられている。
 
==政治==
グプタ朝は県(ブクティ)、郡(ヴィシャヤ)、村落(グラーマ)とつながる地方行政機構を整備し、郡県には中央から官吏を派遣して官僚制度を整えた。この制度が整えられたのはガンジス川流域などの中央部の直轄地域に限られ、地方の有力勢力や辺境の勢力は有力者を統治者に任命してその地方の統治を任せ、貢納を受け取るといった統治スタイルがとられた。この方法でグプタ朝は速やかに勢力を拡大したものの、5世紀後半以降グプタ朝の勢力が衰えを見せると、それまでの統治で力を蓄えていた地方有力者が従属王権となり、さらには宗主権も認めなくなって独立していくこととなった。一方で、これらの従属王権は自らが力を蓄える基盤となったグプタ朝の行政システムをそのまま踏襲し、以後の各王朝に大きな影響を与えた。
 
==経済==
[[File:Kumaragupta_coins.JPG|frame|right|クマーラグプタの肖像が刻まれた銀貨]]
商業、金融業、手工業が盛んであった。[[ローマ帝国]]との季節風貿易は既に衰退していたが、[[インド洋]]における季節風貿易は引き続き活況を呈しており、西のビザンツ帝国やササン朝、ジア・クスム王国などとの交易が盛んに行われた。[[ベンガル湾]]を渡って東の東南アジアなどとの交易も盛んであり、東南アジアから中国へと向かう交易ルートの存在は[[法顕]]の「[[仏国記]]」でも確認できる。これらの交易を通じ、沿岸の[[港市]]が繁栄した。[[金貨]]が盛んに鋳造されほか銀貨・銅貨も発行された。当初法顕が往路クシャーナ朝の金貨になら陸路を取ったが、[[スカンダグプタ]]の治世ことからはスヴァルナと称されも伺え独自の金貨が作られた。農村では、バラモンや宗教施設の管轄下よう土地がおかれていき低湿地や森林などの開拓が進められた。王朝の後期になると、フーナ([[エフタクロード]]に結びついた内陸侵入などによって都市網が衰退し、農業経済へと移行交易ルートも繁栄していた。
 
グプタ朝では[[金貨]]が盛んに鋳造されたほか、銀貨・銅貨も発行された。当初は[[クシャーナ朝]]の金貨にならったが、[[スカンダグプタ]]の治世からはスヴァルナと称される独自の金貨が作られた。金貨や銀貨は高い価値を持ち活発な交易を支えたが、日常生活においては銅貨や[[子安貝]]といった少額貨幣が多く用いられた。農村では、荒蕪地を中心にバラモンや宗教施設の管轄下に土地がおかれていき、低湿地や森林などの開拓が進められた。王朝の後期になると、フーナ([[エフタル]])の侵入などによって都市網が衰退し、農業経済へと移行していった。
 
==社会==
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#[[クマーラグプタ1世]](414年頃 - 455年頃)
#[[スカンダグプタ]](455年頃 - 470年頃)
#[[クマーラグプタ2世]](473年頃)
#[[ブダグプタ]](476年頃 - 494年頃)
#[[ヴァイニヤグプタ]]
#[[ナラシンハグプタ]](510年頃)
#[[クマーラグプタ3世]]
#[[ヴィシュヌグプタ]](543年頃 - 550年頃)
 
== 関連項目 ==