「アルバート・マイアー」の版間の差分

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== 戦後の経歴 ==
[[1870年]][[2月9日]]、アメリカ合衆国議会は「大陸内部の軍事基地とアメリカ合衆国の各州および準州の他の地点での気象観測、さらには北部の諸湖と海岸地域で嵐の接近を電報と信号で報せること」を承認した。この任務は以前[[スミソニアン博物館]]が行っており、マイアーが嵐に関する情報伝達に興味を持っていたので、その信号司令部に振り当てられた。これが[[アメリカ国立気象局|アメリカ合衆国気象局]]、後の[[アメリカ海洋大気圏局]]の誕生となった<ref>[http://www.weather.gov/pa/history/timeline.php NOAA website].</ref>。
 
マイアーはアメリカ陸軍における[[回光通信機|ヘリオグラフ]]開発の提唱者だった。[[1877年]]にまだ実験中だったヘリオグラフの器械を[[イギリス軍]]から取り寄せ、[[モンタナ州]]のイェローストーン方面軍にいた[[ネルソン・マイルズ]]将軍に送った。マイルズはヘリオグラフの使い方に習熟し、[[アリゾナ州]]での[[アパッチ族]]に対する作戦で大いに活用した<ref>Coe, Lewis (1993) ''The Telegraph: A History of Morse's Invention and its Predecessors in the United States'' McFarland, Jefferson, N.C., p. 10, ISBN 0-89950-736-0</ref>。