「天誅組の変」の版間の差分
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幕府は[[紀州藩]]、[[津藩]]、[[彦根藩]]、[[郡山藩]]などに天誅組討伐を命じた。9月1日、朝廷からも天誅組追討を督励する触書が下される。9月5日、忠光が吉村らに再度合流して天の辻の本陣へ帰った。諸藩の藩兵が動き出し、6日、紀州藩兵が富貴村に到着、天誅組は民家に火を放って撹乱した。7日、天誅組先鋒が大日川で津藩兵と交戦して、これを五条へ退ける。天誅組は軍議を開き大坂方面へ脱出することを策す。
8日、幕府軍は総攻撃を10日と定めて攻囲軍諸藩に命じた。総兵力14000人に及ぶ諸藩兵は各方面から進軍、天誅組は善戦するものの、主将
天誅組の残党は山中の難路を歩いて脱出を試みるが、重傷を負っていた吉村は一行から落伍してしまう。24日、一行は鷲尾峠を経た鷲家口([[奈良県]][[東吉野村]])で紀州・彦根藩兵と遭遇。那須信吾は忠光を逃すべく決死隊を編成して敵陣に突入して討ち死に、藤本鉄石も討ち死にし、負傷して失明していた松本奎堂は自刃した。一行から遅れていた吉村は27日に鷲家谷で津藩兵に撃たれて戦死。天誅組は壊滅した。
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