「小島慶子 キラ☆キラ」の版間の差分

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|制作 =
|放送期間 = [[2009年]][[3月30日]] - [[2012年]][[3月30日]]
|放送回数 = 719784
|スポンサー =
|公式サイト = http://www.tbsradio.jp/kirakira/index.html
|特記事項 = 放送回数は2011年12月30日時点でのもの。
}}
『'''小島慶子 キラ☆キラ'''』(こじまけいこ キラキラ)は[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]]で[[2009年]][[3月30日]]から放送されている[[生放送]]の[[ワイド番組]]。
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元来、前番組より経費を節減する目的で始まった<ref>小島が番組内で「経費節減とかいろいろあるんですよ」と言及(時期は不明){{出典無効|date=2011年11月}}。</ref>番組だが、小島が社内の人間関係や日常生活について過激な発言を繰り返し、「ラジオの世界で評判」<ref name="jonetsu">[http://www.mbs.jp/jounetsu/2011/04_03.shtml 小島慶子(ラジオパーソナリティ)] - [[情熱大陸]](毎日放送)</ref>となった。『[[情熱大陸]]』では小島を「今や『ラジオの女王』と呼ばれる」と評している<ref name="jonetsu"/>。
 
2009年10月度の[[聴取率]]調査では、[[裏番組]]である[[文化放送]]『[[大竹まこと ゴールデンラジオ!]]』のV12を阻止し、当番組初の同時間帯単独首位を記録。以後同番組との同率首位状態が続いたが、[[2010年]]4月度の聴取率調査で、再び単独首位を記録した。同年10月度の聴取率調査で同番組に僅差で敗れたが、同年12月度の調査で再び首位に立った。しかしそれを最後に、2011年2月度以降は4期連続で同番組に次ぐ2位となっている。2010年6月には、当時の裏番組であった[[ニッポン放送]]『[[テリー伊藤のってけラジオ|テリーとたい平のってけラジオ]]』を終了に追い込んだ{{要出典|date=2011年11月}}
 
いくつかのコーナーでは[[ポッドキャスト]]配信を行なっている。また、聴取率調査週間では[[ストリーミング]]放送を実施している<ref>聴取率調査週間以外で実施した例として、[[2011年]][[3月14日]]から[[4月30日]]までの期間に、[[3月11日]]に発生した[[東日本大震災]]を受けての緊急措置として実施している。</ref>。
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** 月曜日:[[全国健康保険協会|協会けんぽ]] キラ☆キラ 健康サポート(2010年4月5日 - )
** 火曜日:アネキとオジキとこうたりんのヘルシークッキング([[石黒彩]]、2011年4月5日 - )
*** 神足裕司が病気療養のため、2011年109現在以降「アネキと慶子のヘルシークッキング」とタイトルが変わっている
** 水曜日:[[NTTドコモ|ドコモ]]キラ☆キラ中継局(2011年10月5日 - )
** 木曜日:キラ☆キラ 気が利くトーク(2010年7月1日 - )
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* 15:18 [[サッポロビール]] ケンタロウのおいしいラジオ([[ケンタロウ]]、 - 2010年4月2日)
** 『ストリーム』から続いていたミニ番組の1つ。放送開始は2002年4月。
 
== 小島の発言 ==
「暴走機関車」「小島台風」とも称される小島の発言を分類すると以下のようになる。
=== 悪口 ===
* 同僚に対する悪口。アナウンス部は魑魅魍魎の集まりで、あんないやな職場はないと言っており、放送中に突然「絶対に許さない!謝れ!」と叫んだこともある。
* [[みのもんた]]と[[古舘伊知郎]]の悪口。みのは以前、小島とは仕事をしたくないと明言したことがあるため<ref>ただし、『[[吉田照美 ソコダイジナトコ]]』に乱入したときは『朝ズバッ』のグッズを持参しており、真意ではない可能性もある。</ref>。「ものみんた」と呼ぶこともある。また古舘については『[[報道STATION]]』の報道姿勢を批判しており、『寝言STATION』『たわごとSTATION』『寝ぼけSTATION』などと呼んでいる。
 
=== 妄想 ===
* キー局の女性アナウンサーでありながら、異常にコンプレックスを抱き続けている話が次々出てきて、おかしなことに意地を張る。[[赤坂駅 (東京都)|赤坂駅]]で降りるとき、隣の人を「大手の広告代理店あたりでブイブイやっているいけ好かないヤツに違いない」と勝手に妄想して、「あんなヤツに負けるか」と、その人より早く改札を出ようとする。
* 大木と[[酒井若菜]]の交際報道があったときは、「大木はFカップの人と付き合っていながら、私とスタジオにいるときは、こんなに胸の小さい女もいると心の中で蔑んでいる」と、誰もそんなことを言っていないのに勝手に妄想して放送で激怒する。
* 店で西洋人の男性客に「[[筑紫哲也]]の思想を尊敬している」と話しかけられただけで「あんたみたいな青い瞳のかっこいい白人が流暢な日本語でそんな話をすれば女はボーッとなると思ってるんでしょ。あんたの落とした女のリストに私を加えたでしょ。私はお前に籠絡されない。好きになってやるもんか」と心の中で叫ぶ。
* [[セブン-イレブン]]で[[nanaco]]で支払うとき、意地でも「nanaco」と言わず「ピヨピヨ」と言う。
* 同僚への悪口と組み合わされる場合も多い。岡村仁美に飴をあげたのに机上での袋の位置が変わっていないため、実際は岡村が飴を食べていたにもかかわらず、人のあげたものを粗末にする人間だと一方的に恨んでいたなど。岡村には放送で謝っていた。
 
=== 性 ===
* 「スタジオのドアのノブがチンコの形」「プロデューサーがコンドームみたいな服を着てる」「私が13歳、処女だったとき」「セーラー服を着ていた時は処女」「ラジオ放送は脳と脳のセックス」など、意図的に性的な用語を使いまくる。また、リスナーからのメールにどんな卑猥なことが書いてあってもそれを読むのが自分の仕事と公言している。
* 学生時代にラブホテルに通った話、自分の生理の周期の話、自分がセックスのときに出す声の話、セックスしようとして相手のパンツを見て萎えた話など、キー局の女子アナ出身でありながら、自らの性についても平気で語る。
* スタッフの沖縄みやげのコンドームをいきなり駒田健吾に持って行って「あなた、コンドームを使うでしょ。私とやるという意味ではなくて…」とセクハラ発言をしたため、駒田が『[[kakiiin]]』内で「小島慶子はおっさん」と評した。すると駒田が代理パーソナリティを務めた『[[大沢悠里のゆうゆうワイド]]』に小島が乱入し、再びコンドーム発言を連発した。また安東弘樹に対しても、自慰の道具を大量に机の上に置いた。安東は「自分が逆のことをしたら確実にクビになる」と言っている。なお、駒田はコンドームを[[椎野茂]]に渡したという。
 
=== タブー ===
* 番組内で流れるCMを批判、自局のドラマを批判、報道姿勢に関して「だからテレビって大嫌い」と発言するなど、自分の組織をも攻撃。TBSラジオの[[加藤嘉一 (TBS)|加藤嘉一]]社長が副調整室に来た際は「やーね、もう、なんかもう、悪いこと言わせないぞ、オレの顔があったらお前の口が封じられるぞみたいな。黙るもんかー! 黙るもんかー!」と叫んだ。
* 自動車の[[フェラーリ|特定の車種]]を批判、[[自由民主党]]に投票するなという意味にとれる発言をしてから形だけのフォローをするなど、放送局が遠慮する対象への攻撃。
* 「[[東京ディズニーランド]]の[[ミッキーマウス]]には人が入っている」「[[サンタクロース]]はいない」<ref>2009年12月下旬放送分より。なお、同じ時期に[[ピストン西沢]]も『[[GROOVE LINE]]』で同じような内容の発言をしている。</ref>「[[ガチャピン]]の中に人が入っていると言わないと演技者に失礼だ」<ref>2010年[[1月21日]]放送分。</ref>などと力説したり、「[[テレフォンショッキング]]の出演者が事前に決まってるわけがないじゃない」と(実際は決まっていると知っていて)バカにしたような口ぶりで言うなど、わかっていても誰も口にしないことに敢えて踏み込む。
 
=== ラジオ七聖 ===
2010年[[1月12日]]の放送にて、小島が「私の考えるTBSラジオの生んだ『ラジオ七聖』」なるものを発表。トーク中にその「ラジオ七聖」について部分的に触れた結果、[[Twitter]]にて話題となり、その後小島がその全員を明らかにするという形で放送された。なお、あくまでも小島による独自の考えに基づく定義づけとされており、社会的な評価を含むものではないが、TBSラジオの他番組がこのフレーズを番宣などで勝手に使っている例もある。
{| class="wikitable"
|+ラジオ七聖
! 称号 !! 氏名 !! TBSラジオの主な担当番組
|-
! ラジオの奇跡
|'''[[生島ヒロシ]]'''||[[生島ヒロシのおはよう定食]]、[[生島ヒロシのおはよう一直線]]
|-
! ラジオの精霊
|'''[[永六輔]]'''||[[土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界]]
|-
! ラジオの鉄人
|'''[[森本毅郎]]'''||[[森本毅郎・スタンバイ!]]
|-
! ラジオの巨人
|'''[[久米宏]]'''||[[久米宏 ラジオなんですけど]]
|-
! ラジオの王様
|'''[[伊集院光]]'''||月曜[[JUNK]] [[伊集院光 深夜の馬鹿力]]
|-
! ラジオの良心
|'''[[荒川強啓]]'''||[[荒川強啓 デイ・キャッチ!]]
|-
! ラジオのおじさん
|'''[[大沢悠里]]'''||[[大沢悠里のゆうゆうワイド]]
|}
※担当番組は、2010年3月現在。
 
== エピソード ==
===2009年===
* 2009年[[5月25日]]、オープニングで、小島が前年に自殺した後輩の[[川田亜子]]との思い出を涙ながらに語った<ref>この日から、小島がオープニングでフリートークをするようになった。</ref>。
* 2009年5月下旬から翌月6月にかけて、水道橋が当時金曜日の天気予報を担当していた[[佐々木聡美]]を大木と付き合わせようと画策していたことがあった。その後同年7月に佐々木の担当曜日が月曜日に移り、2人の共演が実現したことを水道橋は喜び当の2人も乗り気になっていたが、同月下旬に大木の酒井若菜との交際が発覚、一連の画策は破綻に終わった。しかし佐々木が同年10月に水曜日に移って以降、大木は佐々木の後任の[[知念有美]]に一方的に恋人アピールをし続け、いつしか月曜日13時台の天気予報は番組内で「愛の3分間劇場」と呼ばれるようになった。ところが知念が翌年2010年3月に番組から離れ、後任として[[山岸朋美]]が就くと、大木のアピールは鳴りを潜め、山岸着任翌々週の同年[[4月12日]]に事前の打ち合わせのもと初めて山岸との間で行われたのを最後に、「3分間劇場」は自然消滅してしまった。一方、水曜日に移った佐々木は毎回スタジオの扉を開けて迎え入れられるほど宇多丸に気に入られていたが、2010年[[3月10日]]を最後に番組から離れた。なお、大木は2010年初めに酒井との破局が報じられている。
* 2009年[[6月23日]]、オープニングで小島がレストランで自分たちの言動を注意した客のことを批判する内容の話をしたところ、抗議メールが30通届いた。ラジオ番組で1つの発言に抗議が30通届くことは極めて異例だという。翌日のオープニングでの弁解により、さらに抗議が殺到した。
* 2009年[[6月26日]]、同日朝(日本時間)に死去した[[マイケル・ジャクソン]]の訃報を受け、当初予定していた内容を変更し、スタジオに西寺を招いてマイケル・ジャクソン特集を放送した。
* まれにスタジオに予告なくゲストが出演することがある。特に生島ヒロシは、放送中に自分の話題が出てくると、その後「呼んでもいないのに」番組に乱入することが度々ある。その生島が2010年6月25日に水道橋の代理として出演した際は、リスナーからのメールを受けて、自分のエピソードを7分間にわたって話し続けた。
* 2009年9月16日の放送では、オープニングで小島と宇多丸が自殺を防ぐ方法をめぐって13:30ごろまでケンカを続けた結果、当時オープニング直後に設けられていた天気予報がカットされた。この模様が『[[爆笑問題の日曜サンデー]]』同年[[12月20日]]放送分の「[[TBSラジオ珍プレー好プレー大賞]]」にノミネートされ、ノミネートした15番組中3位にランクインした。
* 2009年9月23日の放送では、この日代理パーソナリティを務めた安東弘樹に「これ(=当番組)は『小島慶子のイライラ』だ」と評された。
* 2009年9月24日放送の天気予報は、[[風邪]]のため出演できなかった[[江花純]]に代わって山岸が伝えた。ちなみに、江花はこの日が当番組最後の出演日となる予定だった。
* 2009年[[10月11日]]、番組公式[[Twitter]]を開始。同年[[12月4日]]に小島本人が初めてTwitterで書き込みをした。これ以降は小島の書き込みが飛躍的に増え、ほぼ小島のアカウントのようになっている。2010年[[6月19日]]に小島が自分のTwitterアカウントを取得したあとも、番組放送中は番組公式のアカウントからつぶやいている。
* 2009年[[10月27日]]、文化放送『[[吉田照美 ソコダイジナトコ]]』に小島がサプライズゲストとして出演。その際、『森本毅郎・スタンバイ!』特製ストラップ等の大量のTBSラジオグッズを持参し吉田にプレゼント、文化放送にて当番組の宣伝を行った。ちなみに当日の当番組で小島は裏番組である『大竹まこと ゴールデンラジオ!』の番組ステッカーを尻の下に敷いて生放送を行った。
* 2009年[[11月12日]]、オープニングで小島が当番組が同年10月度の聴取率調査の結果、初の同時間帯単独首位を獲得したことを報告。前番組『ストリーム』パーソナリティの[[小西克哉]]からお祝いの電話があったという。また、この放送を聞いていた久米宏本人から同日の生放送中に番組へお祝いのメールが届いた。久米は当番組をよく聴いているとのことで、過去にもたびたびメールを投稿し、放送で読まれたこともある。
* 2009年[[12月23日]]に行われた当番組の忘年会後に、宇多丸の自宅を瀧と水道橋が訪れ部屋を物色するだけ物色しそのままの状態で帰られたことで、宇多丸は番組内メンバー人間不信気味らしい。
* 2009年[[12月25日]]、[[J-WAVE]]『[[GROOVE LINE]]』内「DREAM WORKER」のコーナーにて、[[TBSテレビ]]『[[時事放談]]』の忘年会に参加中の小島が電話出演。当番組や『荒川強啓 デイ・キャッチ!』(『GROOVE LINE』の裏番組)の宣伝などを行った。小島は自らリスナーとして、会社の許可も取らずにコーナーに応募した。小島は2010年[[3月3日]]には同局の『[[Jam the WORLD]]』にも出演。こちらは民放ラジオの日に「ラジオの将来を考える」という企画で、ラジオ界を代表するパーソナリティとして呼ばれたものであった。
===2010年===
* 2010年[[1月4日]]、翌日に[[中山金杯]]が開催されるため月曜日に「ズバリ!競馬情報」が放送された。
* 2010年[[2月10日]]、自ら初代ナビゲーターを務めた『BATTLE TALK RADIO アクセス』に、2009年中に2回、小島が偽名で一リスナーとして出演したことを自ら告白。声色を変えたため、同番組のスタッフも気づかなかったという。さらにそのうち1回は宇多丸がゲスト出演した回であったことを明かし<ref>番組内で話した際、リスナーから即座にこの回だと指摘されたため。もう1回は解明されなかったため小島は「墓場まで持って行く」と言っている。</ref>、宇多丸は知らずにバトルトークしていたことに激しく衝撃を受けていた。もう1回がいつの回であったかは明らかにしていない。
* 2010年[[2月23日]]、小島が自身に関するWikipedia項目に言及。「[[ウィキペディア|Wikipedia]]は、結構間違った情報や誤解が載ってるけど、自然に任せる」と発言した。
* 2010年[[4月3日]]、『夜もキラ☆キラ~TBSラジオオールスター感謝祭』と題した特別番組を18:30から22:30まで生放送。小島がTBSラジオの同年春の新番組以外に他局のラジオの話題を平気で取り上げたほか、「[[赤坂5丁目ミニマラソン]]」にてTBSテレビとの[[サイマル放送]]を実施した。
* 2010年4月8日の「ジャパネットたかたラジオショッピング」は、TBSテレビ『[[ウンナンのラフな感じで。]]』の宣伝のため、コーナーレギュラーの[[杉町孝太郎]]に代わって[[小倉優子]]と[[堤下敦]]([[インパルス (お笑いコンビ)|インパルス]])が商品を紹介。その模様が同番組同年[[4月22日]]に放送された。
* 2010年春のTBS人事異動により、ディレクターに[[宮嵜守史]]([[テレコム・サウンズ]]第二制作部所属)が着任。宮嵜はTBSラジオの深夜番組『[[JUNK]]』などでのイキりぶりを当番組でも発揮(主に音響面)し、そのしつこいまでの演出は、さらに番組を盛り上げる形になりはじめている。
* 2010年[[6月29日]]に「サウンドパティスリー」で[[平野博文]]の[[内閣官房長官]]時代の[[官房機密費]]3億円の使途についてネコババしたと取られる内容を放送したことについて平野側から放送後に抗議があり、同年[[11月2日]]の番組の最後で謝罪の放送を行った。当事者の上杉は週刊誌や他局の番組でこの対応を批判している。これとの関連は明らかにされていないが、直後から上杉出演部分のポッドキャストは1週間しか保存されないことになり、[[プロデューサー]]も交代した。
* 2010年[[7月26日]]、同年[[8月11日]]、同年[[8月20日]]の放送は[[赤坂サカス]]で行われた夏休みイベント「[[夏 Sacas|赤坂ビッグバン~夏サカス2010~]]」にあたって作られた特設サテライトスタジオ「サカスタ」から当番組初の公開生放送を行った(『日本列島ほっと通信』のコーナー前まで)。
** 8月11日放送分では約270人が観覧に訪れた。この日はスペシャルウィークの企画以外では手に入らない番組特製[[Tシャツ]]の販売も行われ、在庫分が全て売り切れた。
* 2010年[[9月25日]]、『土曜もキラ☆キラ ジャパネットたかたラジオショッピング20周年大感謝祭FINAL!』と題した特別番組を15:00から16:55まで生放送。小島と水道橋に[[高田明]]と杉町が商品を紹介した。その後も同様の特別番組が制作されている。
* 2010年[[11月17日]]、オープニングで小島が当番組が同年10月度の聴取率調査の結果を「だいたい1位」という表現で、裏番組である文化放送『大竹まこと ゴールデンラジオ!』に次ぐ2位だったことを報告(『大竹まこと ゴールデンラジオ!』は1.7%、『小島慶子 キラ☆キラ』は1.6%)。1年ぶりに聴取率トップを奪われた。次回の同年12月度調査では首位を奪還したが、放送では一切言及しなかった。
===2011年===
* 2011年[[3月2日]]、ニッポン放送『[[ピストン西沢のオールナイトニッポンGOLD]]』の番組冒頭から小島がゲストとして出演。30分ほど[[ピストン西沢]]としゃべり、当番組の宣伝をした後、「小島慶子のオールナイトニッポン!」とタイトルコールをして帰った。
* 2011年[[3月11日]]、『日本列島ほっと通信』のエンディング中に[[東北地方太平洋沖地震]]の本震が発生。スタジオ内で激しい揺れを感じている様子がラジオでもそのまま放送され、小島が初動対応に当たった。その後、直ちに[[報道特別番組]]の体制に切り替わったため15時台のコーナーは全て中止となり、15時23分35秒に[[緊急警報放送]]の信号を発信<!---参考リンクから--->した。なお、この日のエンディングは無く、ニュースブースからのニュースを伝えた後、次番組(本来の『デイ・キャッチ!』・TBSラジオ報道特別番組『宮城県で震度7』)を放送。また、この地震では都内の多くのビルでも天井落下や外壁・看板の崩落、壁のひび割れ等の被害が続出した為(TBS等の放送局内でも同様の被害があった)、しばらくはヘルメットを装着しての放送となった。さらに、小島は、この日以降、停電によってエレベーターに閉じ込められる事を防止するため、階段を利用して本社9Fのスタジオに入っている。<!---2011年4月3日の「情熱大陸」から--->
* 2011年4月3日の『情熱大陸』([[毎日放送]]製作・関東では'''TBSテレビ'''で放送<ref>ただし、この回の製作協力は、[[TBSラジオ&コミュニケーションズ]]。</ref>)で小島慶子を取り上げたため、当番組の同年3月11日の地震発生時の音声と翌週のラジオスタジオの様子などが放送された。
* 初代プロデューサーの[[村沢青子]]は度々トークのネタにされており、スペシャルウィークのノベルティープレゼントの際のジングル(2010年10月まで)の「Tシャツあげちゃう」や「[[パーカー (衣類)|パーカー]]どーん!」などで声の出演をしていた。
 
== 脚注 ==