「T-43 (戦車・水陸両用)」の版間の差分
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2012年3月22日 (木) 13:30時点における版
T-43水陸両用戦車はソビエト連邦の試作戦車である。
T-43水陸両用戦車 | |
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種類 | 水陸両用戦車 |
原開発国 | ソビエト連邦 |
開発史 | |
製造期間 | 1933~1935年 |
諸元 | |
重量 | 3.6~4.4t |
要員数 | 2人 |
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装甲 | 15mm |
主兵装 | 7.62mm DT機銃 |
エンジン | GAZ-AA |
概要
ソ連では1931年からイギリスより輸入したカーデンロイドD-12水陸両用戦車を元にした国産の水陸両用戦車の開発が行われていた。
まずT-33が開発された後、これを改良したT-37が生産され、量産性が高かったことから制式採用され、大量生産に漕ぎつけた。
しかしこれらの車両はいずれも機動力については軍が妥協したものの、極めて薄い装甲に貧弱な武装はさらなる強化を求めて然るべきであった。その為機動力をそのままに、当時ソ連において戦車はおろか装甲車にも標準装備されていた45mm砲を搭載し、さらに装甲も厚くした水陸両用戦車の開発が始まった。これがT-43である。
開発
開発はキーロフ工場とヴォロシーロフ第37工場の二つの工場で競合する形で行われた。
そしてこれらはキーロフ工場のものをT-43-1、ヴォロシーロフ工場のものをT-43-2と分類された。重量などに違いはあったものの、1934年までにそれぞれプロトタイプが完成し、試験が行われた。
ところが、開発者はある程度予想していたようだが、当時のエンジンの出力では、武装を替えていないにも関わらずT-37よりも500kg程度重くしたT-43を水上で稼働させるのは難しく、水中の障害物に対して非常に弱く、速度も0.5km/hという鈍足で、とても実戦運用出来るものではなかった。
しかし第二次五カ年計画の中でも開発を策定していたT-43への期待は強く、その後も問題点の指摘や改良が続けられたのだが、やはり根本的な解決はなく、1935年に生産計画は凍結された。
その他
後に労農赤軍の主力戦車として独ソ戦で大いに活躍したT-34の改良型もT-43の名称を与えられている。
こちらは開発が1943年に行われたものだが、T-43としては試作止まりであり、T-43の砲塔をT-34に応用したことでいわゆるT-34/85が生産され、独ソ戦後期の労農赤軍の主力戦車となった。